久紫side 二十一

 

 人伝に聞いた話で、彼女は本島へ行ったと知った。

 人とは、伸介のこと。

 久々に見た彼は憔悴しきっており。

 無言を貫けば、一人でぽつりぽつり、語り始めた。

 

 春野宮の分家の中で、放蕩者の扱いは長らく放置を続けていた。

 このため伸介は、さほど自分は重要視されていないと高をくくる。

 当然、瑞穂との一件はスムーズに運ぶものと思い込んでいた。

 万が一、駄目だ、勘当だ、と言われても、貫き通す思いはあった。

 けれど――。

「今更、だよな……世間体がって言いながら、勘当なんか出来ないだの。渋ったなら、仕舞いにゃ、お前は私たちの息子なんだ……とかさ」

 苛立ちに満ちた台詞。

 裏腹に、声音はどこまでも弱々しい。

 察せられた、伸介の思い。

 いつも飄々とした彼は反面、物凄く情に弱い。

 放任し過ぎた親に対し複雑な感情はあろうとも、必要とされた以上、無碍にも出来ない様子。

 流れから瑞穂の懐妊を知った両親が、内々に処理しろと命じた旨を聞いても、憤ることしか出来なかったという。

 現在、瑞穂の身は自宅で謹慎となっている。

 不穏な動きが為されぬよう、信頼の置ける者に警備を任せて。

 出ようと思えば、久紫と違い、伸介は瑞穂を伴って幽藍を出られる――だが。

 反対は、意外にも瑞穂からやってきた。

 親を置いてはいけない。

 何より、生まれ育った幽藍、伸介を知り、恋慕い、叶い、実った命に、後ろめたい気持ちでいたくないと。

 驚かされるのは、数々の嫌がらせを受けてなお、この島で子どもを生むつもりであること。

 覚悟が違う。

 思い知らされた、彼女の強さ。

 母親だからか? と呆けて尋ねれば、きょとんとして笑う。

 本当は、この島で産まない方が子どものためかもしれない、だからこれは自分の我が侭――

 瑞穂の想い。

 なれば、伸介とて同じ気概でいようと思い。

「けどさ……駄目なんだ。良い案が浮かばねぇんだよ。あの親どもを納得させるのが一番手っ取り早いのは理解してるってぇのに。情けないよな……」

「…………」

 返す言葉は終始無言。

 それでも伸介は構わなかったらしい。

 喋りたいだけ喋り倒し、ついでに茶の催促までしてから、勝手に帰って行った。

 ただ、最後に言う。

 彼もまた。

「情勢ってのは変化するもんだ。あの人たちにゃ参るけどよ……結論は急くな、久紫。もう少し待て」

「…………」

 今更、何を待てというのか。

 ゆっくり、顔を上げ、見つめる先には閉じた戸。

「…………忘れヨウ」

 誰も言わない。

 だから久紫が言う。

 ぽつりと。

 全て、忘れよう――――

 

 

 

 

 

 時間が癒してくれるというが、その時間さえ、与えてくれないらしい。

 

 春野宮の遣いという男が、にこにことした顔つきで、綺麗な包みを差し出してきた。

 居間で応対する久紫は、無言で見つめ続け。

 痺れを切らした風体の男は、包みを引き寄せては慎重に解き、体裁を整えてまた、差し出す。

 とりあえず、意味が分からないので考え。

 たっぷり時間を置いてから、そういえば待たせているのかと思い当たった。

「……ナンだ、これハ?」

「結納の品でございます」

 深々と頭を下げた男だが、直前、口の端がひくりと引きつっていた。

 けれど久紫は我関せず、またもたっぷり時間を費やし、問う。

「……誰の?」

「春野宮さつき様からにございます」

 要領を得たとでも思ったのか、男は笑みを濃くしたが。

 纏う雰囲気の苛立ちは隠しきれていない。

 応じる久紫、察する気もなく言う。

「ホオ……あの娘御、婚姻するのか。ソウか。それは……めでたいナ」

 自嘲気味に笑った。

 何がめでたいものか。

 そのせいで俺は――――

 いや、違う。忘れようと決めた。ならばめでたくて良かろう。

 クク……と漏れる声は止められなかった。

 震える肩も。

 揺れる視界、ふと気付いたのは、未だ目の前にある結納の品という物。

 小判がある。

 山で三つ。

 確かこれの隠語に「山吹色の菓子」という表現があったと思い出し。

 着物の色を思い出し。

 短くもさらりと揺れる髪を、役目に徹しながらころころ変わる表情を、呼ぶ声を――思い出し。

 ――異人さん。

 笑いが、止まる。

 乗じてにこやかな男の声が届く。

「他人事のように仰らないでくださいませ。さつき様は貴方と婚姻を結ばれると聞いておりますゆえ」

「…………は」

 意味が分からない。

 彼女は駄目だから別の人間をやる、そう、言われた気がした。

 そうしなければ、春野宮に少なからず益を与える人形師がいなくなるから。

 余所者の久紫を――異人の彼を留め置くためだと。

 眉を顰めた久紫を認めてか、続け様、男は言う。

「春野宮の結納にしては少な過ぎると思われますか? お許しくださいませ。他にも結納はあるのですが、こちらへ全て運べば、二度手間になりましょう? なに、もうすぐでございますよ。迎える準備は滞りなく進められていますので、今しばらくは――」

 最後まで、聞く気にはなれなかった。

 迎える準備。

 それはこの家すら、久紫には与えられないという意。

 喜久衛門の居た、彼女と共に居た、記憶の残る家さえも。

 人形師の、役目であっても――

 枷のない余所者には与えられないから、屋敷で囲い飼わねばならぬ……。

「っ…………馬鹿にスルな!!」

 払った小判がきらきら光を反射する。

 追うのは非難する男の声。

 知るかとばかりに立ち上がり、その胸倉を掴んで。

 引き寄せ、土間へ叩き付け。

 にこやかな顔から恐怖を引き出し、内で嘲笑っては外で激昂する。

 静かに――問う。

「ドコでそんな話が出てイルのかは知らんガ……余程、死にたいようダな?」

「ひ」

 漏れた空気は視点を彷徨わせ、律儀にも散らばった小判を掻き集めた。

 包みへ閉じ、慌てて逃げ出す中から、一、二枚が零れ落ちる。

 追う気も、拾う気もなく、土間へ足を向けては、開かれた戸を閉めた。

「誰も――来るなナ。俺には……モウここしか、ナイ」

 忘れようと思っているのに手放せない。

 理由も分からず――。

 

 

 

 ぼんやりした視界から、いつの間にか眠っていたと知る。

 起き上がれば、腹に溜まった空気を出すように、ぐぅ〜と間抜けな音が出た。

「腹……減ったナ……」

 ……たぶん。

 実感は湧かないが、身体は飯を欲している。

 のろのろと移動しては外へ出、氷が薄く張った井戸へ、桶を投げる。

 割れた響きを聞き、重くなった桶を持ち上げた。

 水を得、中へ入り、痺れる冷たさで米を研ぐ。

 水を張り蓋をし。

 かまどへ火をくべては、釜を置き。

 待つ間、囲炉裏の火を調節、もしくは人形へ手を伸ばす。

 短い髪の、その人形。

 男か、女かも知れぬ、小柄な身体。

 売り物ではないのに、コツコツ造り上げてゆき。

 止まってしまったその手。

 描けない、顔。

 浮かばない、身体の線。

 モチーフは一体誰なのか、閉じた思考でも分かるのに、前に進めない。

 後退――捨てることも出来ず。

 どこにも、行き場は無く。

「火力……」

 思い至ったのは、かまどの火。

 

 

 炊き上がった、銀世界。

 霧の様な湯気から片眼鏡が曇るのを避ける。

 何を作ろうかと悩んでも、出てくる答えは。

「握り飯…………しゃもじハ――」

 辿る記憶は彼女の動き。

 彼女の癖。

 仕草の一つ一つさえ、丁寧に思い出したなら、行き着く先に目的の物が――

 ない。

 何故だろう?

 考えつつ、なおも追う、彼女の跡。

 すると場所がかまどから遠退く。

 作業場、人形の置かれた棚、居間、寝室――――そして居間。

 眼前、柔らかな微笑みがある。

「雪乃…………」

 呼んでも応えはない。

 ある、疑問が浮かぶ。

 どうして自分は、彼女の軌跡をこうまで鮮明になぞれるのか、と。

 思い返すのは、居間で人形造りを行う喜久衛門の不精。

 師、曰く。

 ――居間で造ると、人形が巧い具合に仕上がるでな。やはり飾られる処を考えては居間が一番いいんじゃよ。

 そうして真似た結果、至る答え、示すは。

「追っていた……のカ、雪乃を……」

 問いに答えはない、けれど。

 納得した。

 狂い、したためられた日誌、滑らかに動く雪乃との一時。

 久紫が居ようと居まいと、喜久衛門の雪乃へ対する接し方には距離があった。

 だというのに克明な変化を描けるのは、つぶさに見つめ続けていたため。

 ひっそりと、想いを保ちながら。

 だから、だろうか?

 あまりにも師に縋り、同じ道をもがいて進んだから――

「……違う」

 ていの良いなすりつけだ、それは。

 因縁を付けているに過ぎない。

 誰かの代わりはもう、自分でも相手でもうんざりだと、思ったばかりではないか。

 だからこれは、あくまで自分の問題……。

「…………デモ」

 見つからない。

 しゃもじが、彼女の跡を辿っても。

 戻れば冷え切った飯が迎えて、久紫は口を付ける気にもなれず。

 手を突っ込めば作れる握り飯。

 でも、それでは意味がない。

 温かかったのだ、どれもが。

 彼女が最初に作ってくれた時も、食べ終えては彼女と引き合わせてくれた時も。

 思い知る、己の思い。

 握り飯はいらないと、信貴の絶品を喰らっては思ったはずなのに、望む理由は。

 

 ただ、逢いたい――。

 

 忘れたくても忘れられないのは、まだ想う心があるから。

 温かな握り飯さえ望めない、家主でありながらしゃもじすら見失う、異人であっても。

 そう、呼ばわれていても。

 

 

 

 夜半過ぎ。

 またしても、そのままの格好で寝入ってしまった。

「ぐしゅっ」

 くしゃみが出た。

 ぐずぐずする鼻を掻きつつ、身震い一つ。

 途端、間抜けな腹の音がやってきて、致し方なしと冷えた飯へ手をつけた。

 二口、三口、食しては、手に付いた米粒を舐め取り、ふと気付く。

 やけに明るい。

 そして妙に――――温かい。

「?」

 外気はひんやり、音も夜の静けさを保っているのに何故?

 見渡せば、一番明るいのは作業場。

 そちらへ、足を向けようとしたなら――

「久紫!」

 大声で呼ばれて振り返り、伸びた手が腕を掴んで引っ張った。

 よろけて、鼻を突くニオイに気付く。

 今度は作業場を振り返り。

 見開かれた目。

 ちろり、天井を舐める炎の舌。

「か――――っ!?」

 留まることも、声さえも許されず、叩きつけられたのは、戸の外、凍てつく大地。

 咳き込み、赤い影を認めては身を返し、目にする、先。

 じりじりと燃える木造。

 壁伝い、その先端が火を招く。

 雪乃の、髪が、燃えて……

「――――っ!!」

「落ち着け、久紫!」

「放せ、放せ、放せ、放せ、放せっ!」

 飛び出せば留められ、手を伸ばしても届かず。

 邪魔だと叩けば、その前に左右を取られ。

 腰へも別の重みが絡みつき。

 

 急速に鎮まる激情。

 

 察した枷が離れては、膝から崩れ落つ。

「久紫……」

 名を呼ばれて、ゆるゆる顔を上げれば、ざく切り頭の伸介と彼と似た年恰好が数人いた。

 もう一度視線を戸口へ向けたなら、まだ入ることは可能。

 だが……。

 見ることしか、出来ない。

 髪も、着物も、身体も、柔和なその笑みも。

 燃えていくのをただ、見ることしか――――

 

 


UP 2008/11/24 かなぶん

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