久紫side 二十六

 

 とりあえず、聞き耳を立てていたと知っては、倒れ込んだ相手を睨みつけ――

 

 困った。

 

 否、正直嬉しい。

 慕っていたと小春が言うから。

 それはつまるところ、久紫と同じ気持ちであって。

 ずっと、ということは、いなかったこの半年より前から、好いていてくれたという話で。

 では何が困るのかといえば……。

 とぼとぼ歩き、ちらり、後ろを見やる。

 やや俯き加減の小春が頬を染めてついてくる姿。

 前に向き直り、後悔が過ぎる。

 告白の余韻も打ち消す騒々しさで現れた団体、彼らの前で続く言葉はなかったが。

 

 落ち着いて、話の出来るような場所が浮かばない。

 

 外へ誘ったのは久紫のため、小春に聞く訳にもいかず。

 こうなると、家を焼いた分家連中が心底憎かった。

 その姓が春野宮と思えば、なんだかあの火事すら、本家の仕業と思えてくる。

 脳裏に浮かんだ優男、今度会ったら是非とも殴らせて貰おうか。

 小春からは見えない位置で昏い思いを抱いて拳を握り。

 辿り着いたのは、曇り空を反射した、鉛色の海。

 不安定な砂を踏みしめて耽る思い出。

 そういえば二年前、小春と初めて逢ったのも、こんな海の色だった。

 あの時は思いもしなかった。

 まさか、こんな風に人を想い、想われることになろうとは。

 ふんわり温かな気持ち。

 ほくほくした想いに浸っていたなら、小春の硬い声が届いた。

「…………異人さん、雪乃さん……は?」

 後ろから尋ねられ、目の奥が赤く染まる。

 胸の温かさは保たれたまま、燃えゆく人形の姿を見て。

 穏やかな微笑みが、もう気に病む必要はないと、言っているようで。

 一抹の淋しさを感じつつ、苦笑しながら、目を閉じた。

「…………燃えた」

 口に出した言葉は、彼らの死とも直結する。

 縋りつくのではなく、認めるべく。

 恨むことで、追うことで、雪乃と喜久衛門の、現実の死を拒絶していた。

 胸の中に息づく彼らすら満足に受け入れられず。

 雪乃の面差しを喜久衛門の技巧で残した人形は、大切でありながら、その象徴でもあり。

 ほっとした――訳ではないが、燃えたからこそ前に進めるかもしれないと。

 小春がいる今、そう、思えて。

「……異人さんと喜久衛門様が作り上げた、雪乃さん……」

 呟きを聞き、ぴたり、久紫の足が止まった。

 振り返れば、俯き加減の小春が、立ち止まったことに気付かず、歩みを進める姿。

 額で胸を小突かれたなら、そこを押さえ、顔を上げ。

 不思議そうな表情が、溜息が出るほど切なくて、愛しい。

「…………小春……頼むカラ、俺も名で呼んでクレないか? ドウもその、異人サンという呼び名はとても――遠くて……」

 想いが通じたなら、余所者と響く呼び声が厭わしい。

 呼ばれるなら久紫と。

 名付けのため、悩み、与えてくれた人がいるその名を、貴女の口から、聞きたい。

「ぅえ……で、では久紫様と――」

 どうしてそこで詰まるのか。

「久紫、で良い」

 様、も敬称だろうが鬱陶しいし、なんと言っても距離を感じてしまう。

 このまま放っておくと逃げそうな気配を感じ、有無を言わさず抱き締める。

 目覚めた時以来の温もりは、当然のようにすっぽり納まったが、肝心の小春は真っ赤な顔。

 慌てた様子で彼女は言った。

「で、ですが、やはりここは」

「伸介は呼び捨てナのに?」

「あ、アレはそういう役柄というか、その、なんと申しましょうか……そ、それでしたら、久紫さん、というのは如何でしょう!?」

 まるで譲歩してやるからと言わんばかりの困り顔。

 応戦に眉を寄せ、無言の交渉を試みるものの、呼び捨てにはできないらしい。

 まあ、伸介を除く相手全てが様付けの小春に、無理強いするのも酷だろう。

 するとちょっぴり湧き上がる、伸介への敵意。

 幾ら何でもあんまりかと思い直し、溜息で黒い感情を逃がした。

「…………仕方ない、譲歩してヤル」

 しっかり抱き締めても、逃げない身体がここにあるのだから。

 応えるよう、小春の手が藍染めの着物を掴めば、色んな想いが巡る。

 彼女がここに、久紫の側に居てくれるなら、望むものなど本当はないのに。

 聞いて欲しい、そう思った。

 小春がいなかった間、久紫の身に起こったことを。

 語ったところで得たいモノはない。

 憶えて貰わずとも良い。

 ただ、聞いて欲しかった。

 貴女に逢えず、寂しかった間の――――ちょっとした愚痴を。

「コの半年……ずっと、小春のコトが頭から離れなかった。あの男に嫁ぐと聞いてカラも……イヤ、一層増して。けれど、家が燃えた。恐ろしかっタ。アノ家があったからこそ、小春は俺の傍にいたんだと……依り所がなくなった気分で…………色んなモノが俺に言うんだ。モウ、小春を忘れてしまえト。お前は違うんダと」

 実際に言っていたのは自分だったけれど。

 思えば思うほど、周りも同じコトを言っている錯覚に陥って。

 身じろぐ気配を受けて、視線を下に向ければ小春が言う。

「……いじ――あ……すみません」

 努力、しているのだろう。

 呼び慣れないから。

 少し寂しいが、その分、嬉しい。

「最初に違和感を抱いたのはイツだったか……小春が俺を異人と呼ぶ度、他を名で呼ぶ度、胸が痛んだ。人形ですら名で呼ぶのに。名で呼んで、髪を梳き、頬を撫で――」

 回した腕を離し、手を小春の頬に添える。

 後ろへ滑らせ、髪を梳き。

「髪……伸びたんだナ。その時間さえ、俺は知らナイから、俺は幽藍の者ではないカラ」

 言いつつ、付けてしまった赤い印をそっと撫でる。

 知らないくせに、ちゃっかりこんなものを付けてしまう自分が情けない。

 項垂れて、合わせた額。

 小春の眼に迎えられ、いたたまれなくなって目を閉じ、眉間に皺を寄せ。

 思い出したのは、同じように重なっては誤解した、二人の仲。

「俺は小春が……あの男と口付けを交わしたんダと思っていタ」

 告げれば伝わる憤慨の念。

 それが段々と動揺と思しき雰囲気に揺れて、目を開ける。

 想像通り、困ったような顔があり、頷いてみせた。

 あの場に居たんだ、と暗に示して。

「ソウして笑い合う二人に、俺は動揺してしまっタ。忘れるタメに人形を造れば手を傷つける馬鹿までヤッテ。そんな手を取った小春……耐えられなかっタ。誰かのモノになるのだとしても、少しダケ俺を残して置きたくて。拒絶されタなら、止めるツモリだった。でも、受け入れられた」

 柔らかく触れた唇を思い出す。

 余裕はなかったはずなのに、鮮やかな質感が伴い、熱が巡る。

「動揺した……あの男と口付けたノニ、拒まれなかっタから。本当は拒まれルことを望んでイタ。ソレで諦めをつけヨウと。同情なのカとも考えた。だから、スマないと、忘れてクレと。同時にまだ俺が入り込む余地がアルんじゃないかと、ソウ思って――」

 あざとい自分を見つめる瞳が真っ直ぐ過ぎて恥ずかしく、かといって逸らすことも出来ず、再度抱き締めては胸に閉じ込める。

「小春、そう名で呼んでも良いカと聞いた。頷かれて、俺は舞い上がってしまった。心をあるだけ込めたツモリで、名を呼んだ。けれど――小春は離れてしまった。会いに行っても会ってクレズ……やはり俺では……異人の俺ではダメなのかと」

「っ! 違います! あれは――」

 必死に否定する顔が上がれば、責めてしまったかと謝るつもりで、宥めるよう額へ口付け。

「色んなモノに手を出してミタ。忘れるタメに。小春を、自分が異人でアルことを。けれど幾ら足掻いても、消えナイ。異人の肩書きも……小春のコトも。だが昨日、小春に似た後姿を見つけテ、我を忘れてシマッタ。どうやっても忘れられなかっタ自分を。目覚めて、夢だと思って、落胆シタ。でも、腕に小春がイタ」

 寄せれば抵抗なく胸へ納まる頭。

 拒まない存在を認め、安堵の息が零れてしまう。

「夢だと……マダ夢を見ているのだと、ソウ思った。共に飯を喰って、会話して……小春が小春のままダと知って……俺を、好きだと……言ってくれて」

 今だって、まだ、現実だと信じられず――

 

「……久紫さん」

 

 おもむろに呼ばれ、胸が高鳴った。

 継ぐ言葉なく、聞き間違いではなかろうかと、また呼んではくれないかと、小春を見つめ。

 ふいにその顔が上げられては、愚かしいまでの動揺が起こる。

 ひた隠し、眉を顰めて別の話を持ち出した。

「すぐ邪魔が入ったノハ、正直、腹立たしいガ……」

 腹立たしい――が、あの様子では、こうなることを望んでいてくれたのだろう。

 些か気恥ずかしいけれど、あれも祝福と思えば、温かなモノに包まれた。

 結局、異人と呼ばれ、余所者なんだと悲観していたのは己だけ。

 思い返せば随分なことをしてしまったと、後悔が過ぎり――。

「でも、何故母様たちはあの場に? あの様な……野次馬染みたことを?」

 虚を衝かれた。

 みるみる内に困惑が浮かぶ。

 まさかまさか…………

「…………ナア、小春? 俺がアンタをどう想っているカ……知ってル、よな?」

「……? ええと、とても便利な、世話役……ですか?」

 ……あー、そうか。また俺はとんでもない思い違いを――いや、早とちりをしていたのか。

 寝所を訪れた赤い顔。

 重なる情景、夏の雨季。

 つまり小春は告白を聞いたから赤くなったのではなく、男の寝所に来て恥ずかしくなったという話。

 問う視線を感じ、迷う。

 告白を聞かれたと思っていたせいか、妙な安心感があった。

 それが崩れ、沸き起こるのは、原因を色々なところに散りばめた羞恥。

 増して、小春が久紫の想いを知らないなら、先に告白したのは間違いなく彼女だということになる。

 実に不甲斐ない話だ。

 小春の肩に手を置いて温もりを離し、外気を感じては、内に籠もった熱も吐き出して、冷静さを呼ぶ。

 誰かが言った。

 覚悟を決めろと。

 なんだか笑えてきて嫌になる。

「信じラれんな。知らずトモ、ココまできて……」

 全く、本当に信じられない。

 ここまできて、こんなどんでん返しがあるなぞ。

「例えば、コウして抱き締めて」

 離した身体を再度内へ招く。

「例えば、コウして――」

 頬に手を添えて上を向かせ、干からびたソレを重ねる。

 一度受け入れた相手は心得たように瞳を閉じ、自然過ぎる動作から起こる苦笑で、開いた眼を見つめた。

「口付けを交わして。こんな風に接しても、分からないとイウのなら言ってヤルさ。何度でも――……」

 言いつつ、短い間で悩む久紫。

 まだこの国の音になれていない言葉で話して、心を籠められるかどうか。

 どうせなら、馴染んだ他の音で、舌足らずな言葉を補おう。

 聞いても、貰おう。

 色んな国に喜久衛門と共に行って来た、久紫が久紫である証だから。

 異人、なればこそ、伝えられる言語は無数にある。

 紡げば、顰めた眉から言葉が分からないのだと知っても、赤く染まる顔から意味は汲んでくれたのだと知り。

 

 ――噤み間を置かず、もう一度、更に長い口付け。

 

 何度でも受け入れられたなら、貪り交わす。

 小春から零れる声も呑み込んで、抱擁を強めれば、応えるように彼女の手が胸元へ皺を作った。

 頭の芯が痺れてきて、ゆっくりと解放。

 小春の顔に艶を見ては、酸欠と汲み取り、やり過ぎたと少しばかり後悔が過ぎり。

 それでも俯く気配を感じたなら、もう少しとせがむよう、唇を近づけて――。

 

「…………いい加減、人の眼をお気になされたらいかが?」

 

 一瞬、肝の冷える思いを味わう。

 拭い去るよう唇を落としても、小春が他方を向いたため、頭に顔が沈む。

 もう少し、現実逃避したくて頬を摺り寄せる。

 声の主がけしかけ、愚かにも実行してしまった、手に残る感触を消し去るように。

 が、逃げは許されない。

 

ぱんっ

 

 引き離されて頬が張られた。

 あろうことか、小春の。

 ぎょっとしてようやく彼女を視界に入れては、痛々しい白布を左腕に見る。

「な……叩くのなら俺ダロウ!? 小春ではナクっ! 何をする、サツキ!」

 怯みつつ言えど、さつきは小春から目を逸らさず。

 腕を折ってしまった代償が小春に向かったと思えば、これ以上関係のない彼女に手を上げられては困ると、庇うよう抱き寄せ、赤く張れてきた頬に触れた。

 籠もった熱を感じ取り、何かしら小春と言い合うさつきを再度見たなら、左腕を示し胸を張って彼女は言った。

「これは、自由のための布石ですわ! ね、久紫様っ!?」

 …………これは……口止めか?

 交わされる視線が眩しくて逸らす。

 直後、小春がこちらを向いて、眉が顰められた。

 違う、餞別だ。

 久紫に対してではなく、たぶん、小春に対しての。

 いつからさつきが居たのかは分からないが、久紫の蛮行を小春へ報せないため、あんな行動を取ったのだろう。

 小春が、さつきに対して負い目を抱かぬように。

 何もかも諦めていた久紫とは違い、腕を折ってまで、婚姻を破棄した潔さ。

 思い返したなら、久紫は一生、さつきに頭が上がらない――――

 が。

 それとこれとは話が別。

 改めて見た小春の頬は、不味い具合に腫れ上がっていた。

「すぐ冷やさなければ……小春、戻ろウ」

「え、え、く、久紫さん!?」

 抵抗を許さず肩を抱き、ぐいぐい押して歩かせる。

 後ろで騒ぐ声があっても、振り返る気はない。

「ま、待ってください。さつき様が――」

「平気だ。アノ娘の腕を見ただロウ? アレは自分でやったんダ。大体、怪我人が平手打ちナド、並大抵の神経じゃナイ。関わるだけ無駄だ」

 感謝の心はあっても、これはやり過ぎだろう。

「ちっ……俺の女にナニしやがる」

 お陰で、礼も謝罪も何ひとつ叶わず、後味の悪さだけが残ったではないか。

 

 仕返しなら、伸介よりさつきの方が一枚上手だと、久紫は内心、溜息を零す。

 

 


UP 2008/12/24 かなぶん

 

目次 追記

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あとがき

以上で本編の久紫sideは一先ず終了です。ありがとうございました。

そんなこんなで、あとがきです。
話が出来るまでの道筋等は小春sideのあとがきで書きましたので、割愛させていただきます。
が、小春よりも増量となった久紫視点、当初は書く気ありませんでした。小春だけでいいやー、と。
それが書くに至った経緯は、ただ単に、別視点てのも面白そうだと思ったから、のみです。
とてもいい加減。いつも通りと言ってしまえばそれまでなのですが。そんな無計画さゆえ、気付いたら凄い量に。
久紫の見方も、小春sideを先に読むとだいぶ変わると思いますし。久紫sideを先に読んだ場合は、小春さん、何を考えてるのかさっぱりだと思います。
…いえ、そう感じられませんでしたら、それはそれで。
ここで、小春sideのあとがきでは書かなかった人についてちょろっと。
伸介は元からあんなで、ライバル関係にすらならない、悪友っぽいキャラクタでした。瑞穂はその隣を埋めるキャラで。
喜久衛門と雪乃の関係はちょっぴり複雑怪奇ですが、実はどちらとも初恋の相手だったりします。
かといって、繰り糸では初恋は実らないというジンクスがある訳ではありません。悪しからず。
太夫は喜久衛門の性格を考える際に出てきた人でした。
いつか彼ら主体の話を書いてみたいとは思いつつ。

ここまで読んでくださり有難うございます。
繰り糸囃子・久紫side、少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。

2008/12/24 かなぶん

目次 追記


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