久紫side 

  

「俺は、お前が、嫌いダ」

 

 わざわざ一区切り一区切り、腹に力を込めて言ってやったのに、おでこの広い娘は身をくねらせて言う。

「お前、だなんて、夫みたいな台詞……嫌い嫌いも好きの内だって、分かってますわ」

 絶句――後に沸き起こるのは、話の通じない相手への恐怖と殺意だが、相手は小男を殴りつけようとも、ただの娘。

 幾ら何でもそれは不味かろうと思っていれば、溜息一つ零し、

「申し訳ございません、久紫様。家の者が失礼をしてしまいまして。折角お料理をお持ち致しましたのに」

 失礼はお前だろうと言い掛けた声が、質の悪い冗談に引っ込んでしまった。

 料理? 料理とはもしや、丼から地へ垂れ落ちる、あのグロテスクな物を言っているのか?

「……夕餉ナラ……ある」

 気力を振り絞ってそれだけを告げれば、娘は高慢ちきに笑い、

「小春さんのお料理など、わたくしの足元に及びませんわ! わたくしの作りしは、あの方の更に上を行く美味!!」

 コハル……とは幸乃の娘のことか?

 思わぬところで得た名に惚ける暇はない。

 ……上には行くだろうが、決して美味じゃあない。

 胸内で娘の正気を疑いつつ、頭痛を堪えて鼻で笑う。

「フン! お前のソレが料理と認識されルなら、幸乃の娘が作ったのは、神の域に達した芸術品に等シイ」

「まあ! 小春さんのお料理に毒されてしまったのですね!? 久紫様、お待ちくださいませ、必ず救い出して差し上げます!」

 思ったのと別の効果に久紫が唖然とするなか、娘は小男を蹴り起こし、丼を携えさせて帰っていく。

 取り残され、やり切れない思いに頭を掻く久紫だったが。

「……コハル……とは、どんな字を当てるのだろうな?」

 落ち着きを取り戻して、師から賜った書物を開けば、「小春」の文字。

 随分と暖かい字面に中々どうして、しっくり来るものだと頷いた。

 

 が――――

 

 非難の声が聞こえても構わず、破いた手紙を細い火の囲炉裏に捨てた。

 更に強い非難の声を聞いては、この娘――小春をお守りと一瞬でも思ってしまった自分が悔しい。

 寝ぼけ眼のまま、苛立つ頭をがしがし掻いては、

「幸乃の娘。お前、なんてモノ持ってきやがル」

「だから文です! ああもう、酷い」

 だからとは何の話だと問う眼も見ずに、小春は火掻き棒を用いて手紙の紙片を探るが無駄なこと。

 これで諦めれば良い物をこちらを睨みつけてはのたまう。

「酷すぎます、異人さん! あのさつき様が文を書かれるのも珍しいのに、こんな……」

「珍シイ?」

 あの娘、散々気味の悪い文を送りつけてきたのに?

 第一、酷いのは俺か?

 焼かれたからこそ香って来た匂いも手伝い、立ち上がっては嫌悪と吐き気に顔を顰めて小春を見る。

 けれど、その眼が恐怖に揺れるのを認めては自分の形相の酷さに気付き、これを落ち着けるために深呼吸を一つ。

 事情を知らない小春に憤慨したところで仕方ない。しかしこのまま何も言わずにいるのも居心地が悪かった。

 座り直しては、手招き、近付いたのに指し示しては座るよう促す。

 それより少し、久紫から遠い位置を選んで座った様に軽く動揺する。

 

 

 どう切り出したものか考えあぐね、暑い日にはと怪談語り風に始めれば、小春は愛想笑いを青くさせて戸口へ下がった。

 呼べどもおかしな返事を寄越すのを不審に思い、後を追って草履に足を伸ばす肩に触れる。

 途端、その手を払われ、驚く間もなく小春は耳を塞いでしゃがみ込んだ。

「嫌です! 聞きたくありません! 怖い話とか、わたくし、本当に本っっっ当に、駄目なんです!!」

 震える小さな背に戸惑い、

「幸乃の娘、マテ、落ち着け――」

「いやっ!」

 勢い良く突き出された両手に、丁度中腰になった胸が押された。

 受身一つ取れず、尻と背に衝撃が響いて呻いた。

 自分の無様さを恥じながらも、我に返って久紫を心配する小春の手を掴んだ。

 震えが伝わったものの、逃げる気配のないことに安堵しつつ。

「幸乃の娘、少しは落ち着いたカ?」

 手を借り立ち上がっても、掴んだ手は離さずに、先程の位置まで誘導した。

「恐ろしい話ってノハ、別に幽霊の類じゃナイ。まあ、俺にとっては幽霊ヨリも恐ろしい話だが」

 暗に聞いてくれと頼みながら、また逃げられても困ると若干近くに座らせる。

 これに対して小春は俯いたまま。

 そこまで怪談が嫌いとは知らず、悪いことをしてしまったと息を吐いてから、おでこの広い娘の話を始めた。

 

 

 

 丼の一件以降もあの娘は幾度となく訪れ、今度は家のモノにまで手を出し始めた。

 買い置きの材料を使って、自称・料理を作るばかりか、小春の作り置いた夕餉を台無しにし、果ては彼女が忘れていった前掛けを崖下に放るという暴挙まで。

 これを知っていたかと問えば、驚き、久紫には気付かれないようにしていた、と漏らしては失態を恥じるように口を塞いだ。

 少しばかり、目を見張る。

 怪談をあそこまで嫌うくせに、怪奇と思しき事象にあっては、まず住まう久紫の気持ちを考えていたのか、と。

 久紫は改めて、小春が世話役という仕事に懸命であるのを知った。

 自分で言うのも難だが、久紫は己を偏屈だと認識している。

 知人らからも散々言われて来たのだから誤りではないだろう。

 それなのに、毎日毎日、他人の世話に徹しては文句も口に出さず、代わりに笑顔を浮べ、絶妙のタイミングで入用はないか尋ねる。

 茶を一つ出すにしても、過不足なく、種類や濃さに至るまで久紫の状態に合わせるのだ。

 至極当然のことと、この全てをこなす様には誇りすら感じられた。

 

 

 あの娘では、爪の垢を煎じて飲ませたとて、大して効果は得られないと眉を顰め。

「ソレでモウ来るなと、目の前で文を燃やしてヤッタんだが、ソウよね、ワタクシは今ココにいるのだから、文なんて野暮だったわ……なあ、幸乃の娘? アレは病気か何かか?」

 尋ねたところで返って来るのは困惑だけだろう。

 案の定、小春も似たような顔をしては首を傾げた。

「……? でもそれなら何故、わたくしに文を託されたのでしょう? さつき様はもう文は送らないと言われたのに?」

 それこそ知らぬことだ。

 久紫は肩を竦めかけ、突然小春の後ろで戸が開いたのを見ては固まった。

 現れたのは夕暮れ空を背負った、広いおでこの娘。

「勿論!牽制のためですわっ!」

 

 

 

 

 

 何なんだ、この娘は?

 突拍子のない登場もそうだが、断りもなく居間に上がっては、主である久紫の存在など忘れて小春に怒鳴り散らす。

 混乱に届く娘の言葉の中、久紫に響いたのは「世話役風情」「娘ごとき」「早くお帰り」の三つ。

 終えては胸を張る娘に小春は何も言わない。

 いや、小刻みに揺れる後姿から察するに、立腹はしているのだろう。

 だが何故この娘へ何も言い返さないのか。

 

 世話役風情など、己の想いだけで暴走し迷惑だけを残す娘に――

 己とて家の名を頼る、娘ごときのくせに――

 早くお帰りと言える立場の久紫を蔑ろにする、真実帰って欲しい身だというのに――

 

 はた、と気付くのは、娘が名乗った春野宮の姓。

 幾ら幸乃家に権力があろうと、分家とはいえ幽藍を実質支配する春野宮は歯向かっていい相手ではない。

 肯定するように、小春がのろのろと立ち上がった。

 背筋にさっと冷たいモノが落ちていく。

 おでこの広い娘はどうとでもなろうが、このまま小春が去ったとして、果たしてこの娘は明日からまた、世話役を務めてくれるのだろうか?

 考え、別に小春にこだわる必要はないとも考え――胃が重くなる。

 具合の悪さに歪んだ顔の先、一歩、小春が足を踏み出した。

 咄嗟にまた、師に縋っては視界に入る、柔和な笑み。

 重なるのは二重の声ではなく、悪戯っぽい笑い顔。

 

 ――しつこい女はこれに限るさね。

 

 その後の喜劇など、考えてる余裕はなかった。

 ただ今は、春野宮の姓の重圧を跳ね除け、小春に世話役を続けて貰うために、叫ぶ。

「いい加減にシテくれ! モウいい、はっきり言ってやる! 俺は――――」

 ぐいっと引っ張ったのは、柔和な笑み、合作の人形。

「――――生きた女に興味はナイ!」

 躊躇は微々たる内に済ませ、久紫は人形の唇を舐めとり口付けた。

 

 離し、これでどうだとばかりに、広いおでこの娘を睨みつけたのだが。

「……幸乃の娘……?」

 娘は勿論のこと、結局出て行ってしまった小春の背に、久紫は何かとんでもない間違いを犯した気分に浸った。

 

 


UP 2008/7/2 かなぶん

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