桃色計画発動中 弐
少しばかり息を切らした鬼瓦さん。 全開の襖の溝へ腰を下ろしては、結い上げた髪に指を通し、眼鏡越しにじろりと横を見やります。 そこにいたのは、布団で覆われうなされる二人の男。 一人は金に赤いメッシュが入った長い髪の美人さんで、もう一人は鬣のような赤茶の髪のダンディズム溢れる容姿の持ち主です。 どちらも額から目にかけて氷嚢を置き、重病人の様相を呈していました。 「なんだって……こんなことに?」 つい、愚痴が漏れたなら、間髪入れず返答が為されます。 「それは彼らが姫の作品であり、且つ、人為らざる私の養分を摂取したためだ。只人や只の獣であれば即死する代物であったが、実験と称される改造を繰り返されてきた身ゆえ、不可思議な変化が彼らの体内で起こったと推測される。興味深い話ではあるが――」 完全棒読みの長台詞の主へ、鬼瓦さんは視線を移しました。 二つの布団を挟んだ向こう側で、犬耳を持つ可愛らしい少年に取り押さえられた、黒髪黒目の青年。 即席で作られたつぎはぎの着物を纏う、虚ろを思わせる眼が淡々と先を続けます。 「今現在、私の興味対象はお前となっている。姫の弟子、鬼瓦よ。さあ、動け。否、それより先に、この者からの解放を要求する」 「……瞬きぐらいしてくれ。いいか、ポチ。絶対放すなよ?」 「はいっ、ボス!」 馬乗りになったまま、元・犬の現・少年ポチは牡丹があしらわれた赤い打掛姿で頷きます。 ぱっと見、少年に襲われる青年の図で、妙などきどき感を鬼瓦さんに抱かせますが、ポチが放せば最後、あの青年は至近距離で彼女を見つめてくるのです。 じーっと、何も言わず、息遣いも大してせずに。 つい先程やられたばかりの気味の悪さに寒気を覚えつつ、鬼瓦さんは青年から目を逸らすと、青い目を静かに閉じました。
思い起すのはその、つい先程、のこと。
ポチ用にと着物を探しましたが、元から衣服に頓着しない鬼瓦さんの手持ちには、あまり良い品がありませんでした。 仕方なく、いつの日にかと両親が置いていった、艶やかな打掛と帯紐を手に、土間へ戻ります。 するとそこで、鬼瓦さんは絶句しました。 何故なら、ポチの他に二人、男が追加されていたのです。 しかも全員が全員、裸体。 後姿であっても、年頃の娘には目の毒です。 が、そこは自称でも学者な鬼瓦さん、頭と胸は混乱で一杯一杯ですが、表面上はおくびにも出しません。 視力が悪かったことも幸いしていました。 寝起きで眼鏡を掛けていなかったので、ぼんやりとした輪郭だけで済みます。 となると、次に気になるのは増えていた二人の男。 ポチという前例があるため、土間にいたキジとゴクウの変わり果てた姿だと予想はつきますが…… 「まずは服、だな。声を掛けて全員に振り向かれるのは……流石にちょっと」 今だって、見つめたくて見つめているわけではないのです。 ようやく打掛を見つけたばかりなのに、他に着物はあっただろうかと、鬼瓦さんは土間へ背を向け―― 「「おおおおえっ」」 低い二重奏の呻きを受けて、振り返りました。 「げ」 そこで、鬼瓦さんも呻いてしまいました。 何せ、男たちが寄って高って貪っていた桃、半分まで食されたその種部分から、黒髪黒目の無表情な青年が現れたのです。 しかもやっぱり裸で。 呻いた二人が四つん這いになっている先で、半分桃に埋もれたまま仁王立ちをして佇む青年は、まるで彼らを従えた女王様か何かのようでした。 唯一人、ポチだけが相も変わらず桃を食べているため、より一層シュールな光景です。 ついでにいうと、ポチは青年が居ようとも変わらぬ食欲を見せており、果肉ではない青年の身体にぶつかると、そこかしこをべろべろ舐めています。 ……何というか、卑猥でした。 「ポチっ!」 堪らず鬼瓦さんがちょっぴり涙目で呼べば。 「はいっ!」 青年を足蹴にして桃へと沈め、一目散に走り寄ってくるポチ。 躾の行き届いた犬でしたから、その場にお座りします。 が、またその姿の、目のやり場に困ることといったらありません。 どういう行いをしたらこんな目に会うのか分からない鬼瓦さんは、とりあえずポチへ打掛を被せました。 「着なさい」 「はあ……?」 打掛を手にしたポチは、よく分からない顔をして、布を頭で押しやり、落としたこれを鼻の頭で突きます。 はたと思い当たる、犬だったポチには不要な着物。 目を閉じ逡巡した鬼瓦さん、溜息を零し、ポチへと手を伸べました。 と、ポチは何を思ったのか、嬉しそうに左手をその手へ重ねました。 「はいっ」 「……違う、お手じゃない」 頭痛を覚えて顔を顰めると、ポチの耳が困ったように伏せられました。 元服少年にしては可愛いらしい顔も、泣きそうなほど歪んでいます。 更なる頭痛を抱えたいところでしたが、鬼瓦さんは苦笑でこれを留めました。 「その布、頂戴。それからちゃんと立ちなさい」 「はあ……立つ?」 意味が分からないのか、とりあえず打掛は咥えて鬼瓦さんへ渡すポチ。 どうやらポチはまだ、自分の姿が変わったことに気付いていないようです。 駆け寄る時も四つ足でした。 どうしたものかと迷う鬼瓦さんでしたが、思いつき、打掛を小脇へ抱えると、両手をポチの上にかざしました。 「両の前足でコレに触れなさい」 「え……と……はい?」 要領を得ない顔つきだったポチですが、妙に不安定な様子で、両手を上げては立ち、鬼瓦さんの手へ触れます。 身体の変化は分からずとも、人間の言葉は理解できる様子。 鬼瓦さんはそのまま、踵を下ろすよう指示。 次いで背筋をもう少し伸ばし、膝も伸ばすよう言いました。 危なっかしい動きを一連に組み込みつつ、ポチが言われた通りきちんと立ちました。 ようやくにっこり笑って偉いと言うと、破顔したポチはまた座ろうとします。 「ま、待ったポチ! そのまま、立ったままでいなさい」 「はあ……?」 きょとんとした顔のポチ。 それでも立つ姿勢を崩さず、両手をまた上げようとして。 「ああ、立つことに両手は含まれていない。手は下ろしなさい」 「手?」 首を傾げたポチは、くりくりしたお目めで鬼瓦さんを見ました。 前足は理解出来ても、それと手がイコールであるとは繋がらないようです。 仕方なく、鬼瓦さんがポチの手を掴み、ついでに土を払って、下ろしかけ。 先に着せた方が良いと思い、掴んだ腕を袖へ通しました。 ポチは嫌がりこそしませんでしたが、顔が居心地悪そうに顰められています。 「ポチ……変な顔しない」 「……だって…………気持ち悪い」 「慣れなさい。寒いでしょう? 自分の身体、ちゃんと見た?」 「……身体?」 言って目をぱちくりさせたポチは、自分の身体を見下ろしました。 途端、よろけてしまったので、慌てて土間より一段半高い位置にいる鬼瓦さんが支えます。 「こ、怖い……高いよ、ボス。お、下ろして」 ……ボスって何だ? 鬼瓦さんは思いましたが、口には出さず。 「何言ってるんだ、ポチ。ちゃんと足は地面に付いているでしょう?」 「あ、本当だ…………あれ? ボス……どうして俺の言葉が分かるの?」 ここに来て、会話が成立することにポチは初めて気付いたようです。 そういやこの子、物覚えは良いけど鈍い子だったな。 支える腕にしがみつきながら、不思議そうな顔で見上げる少年に、かつての犬の姿が重なりました。 「そうだね、どうしてだろうね。とりあえず、もう一回ちゃんと立って。で、着物、着るんだよ? 最初はちゃんと着せてやるから」 「う、うん。優しくしてね?」 「…………」 どう受け取るべきか、鬼瓦さんは迷い、少しだけ変な顔をしました。 けれど、これを見たポチが不安そうな顔をするため、すぐさま笑顔を向けてやります。 するとポチはにっこり同じ笑顔を浮かべました。 ちょっとした気疲れを感じる鬼瓦さんでしたが、今度はちゃんと着せてやり、よく我慢出来たと言葉で褒めれば、ポチが頭を差し出します。 迷うとまた、ポチを不安がらせると思った鬼瓦さん、犬耳の間に手を置き、優しく撫でてやりました。 「えへへへ」 嬉しそうな声がポチから聞こえ、先程まで手とすら認識されていなかった手が、鬼瓦さんの両脇を掠めて、背後に回りました。 自然、抱き締められる形になり、鬼瓦さんは少しだけ困惑しましたが、安心させるようにポチの頭を撫でてやります。 傍目から見れば、絶対宜しくない図だろうとぼんやり思いつつ。 そんな鬼瓦さんの頬へ、生暖かい風が届きました。 何だろうと思い、そちらへ顔を向けたなら。 「うひゃっ!?」 ポチごと身体を大きく仰け反らせた鬼瓦さん。 「あだっ」 「ふぎゃっ」 バランスを崩し床へ、ポチは土間へ倒れますが、構っている余裕はありません。 倒れた彼女の身体に圧し掛かる、無表情が迫っていたのですから。 いつの間にか、桃の中から出てきた黒髪黒目の青年は、色気もへったくれもない顔で鬼瓦さんに近づいてきます。 すっかり硬直してしまった鬼瓦さんの真っ白な頭には、逃げる選択肢すらありません。 あともう少し。 あともう少しで得体の知れない、初めて見る輩に唇を奪われそうになった、その時。 ぎゅっと目を瞑った鬼瓦さんでしたが、柔らかい感触は来ませんでした。 上に感じる体温や重さはあるのに妙だ。 そう思って目をゆっくり開け。 「ひぇっ!?」 息が掛かる距離にある顔を知り、一気に青褪めました。 しかし、青年は鬼瓦さんをただじっと見つめるだけです。 じーっと。 心臓に悪い体勢を強いられているにも関わらず、段々と鬼瓦さんの頭は冷静さを取り戻していきました。 「お前」 何者か、と尋ねようとし。 「何だ」 受け応える青年の息が、鬼瓦さんの唇を呼気だけで湿らせてしまいました。 「っ! 退け!」 瞬間的に顔を真っ赤に染め上げた鬼瓦さんは、散り散りになった冷静さを掻き集め、青年を撥ね退けました。 思いっきり突き上げた膝から、嫌な感触が伝わりましたが、深く考えないようにしておきます。 これで効かなかったらどうしようと思いつつ、青年の身体をぐいぐい押しやり、脱出。 立ち上がっては裸の肩を思いっきり蹴りました。 清々しいほどの容赦のなさですが、鬼瓦さんは必死だったのです。 決して狙ってやったわけではありません。 ありませんが…… 「……あー、すまん。いや、すまんで済まないだろうが……いやしかし、お前が悪いんだぞ? いきなり人を押し倒したりするから……だ、大丈夫か?」 土間まで転がった青年は、無表情のまま蹲り、打たれた一点を両手で押さえては、小刻みに震えています。 動物を人に近い姿へと変える桃の中から出てきたり、無表情を貫いたりしていましたが、青年はちゃんと男だったようです。 ともすれば、致命的な一撃を加えた鬼瓦さん、ちらり、ポチを見やれば、怯えた目で鬼瓦さんと青年を交互に見ていました。 女物の打掛を着ているにも関わらず、格好は青年と同じモノを取っています。 「ポチ……どうやら、身体の使い方は慣れたようだな」 色んな諸事情を纏めて無視し、頭を掻いた鬼瓦さんは、半分喰われた、人の形の窪みを持つ桃へ視線を移しました。 次いで、ぐったり倒れて呻く、二人の男も視界に入れて。 「さてと……とりあえず、コイツらの着物、調達するか。……ポチ」 「はいっ、ボス!」 元気な返事の割に、弾かれ上がった顔は、今にも泣き出しそうです。 覚束ない足取りで立ったのが嘘のように、背がぴんと張っていて、ポチの必死さを表しています。 先程までは打掛の上からでも分かる、元気な尻尾がありましたが、今は見当たりません。 内側へ巻かれているようでした。 「……その二人、居間へ運べるか? 土を払って」 「出来ます! いえ、出来なくてもやります!」 良い返事が余計に可哀相でした。 息を一つ吐いた鬼瓦さんは、ポチへ向き直ると、薄茶の頭へ手を伸ばしました。 とても不安そうな黒い目がぎゅっと閉じられます。 叩かれるとでも思ったのでしょうか? そこまで信頼を失くしたのは哀しいと思いつつ、鬼瓦さんはくしゃりと頭を撫でてやりました。 ぽかんとした表情がポチに浮かびます。 「出来なかったらやらなくて良いから。これは命令じゃなくて頼みだ、ポチ」 「は、はいっ、頑張りますっ!」 ぱっと花を咲かせる笑顔になったポチは、駆け足で男たちの下へ向かいました。 鬼瓦さんはこれを見届け、土間を後に――しようとして。 白い裾が、くいっと引かれました。 見れば、まだ胴体が苦悶する、無表情の青年が腕を伸ばしています。 「ど……こへ行く。ひ、めの弟子、鬼瓦よ」 「そういや、さっきから姫と…………また、随分、懐かしい名だな?」 鬼瓦さんは嫌そうに眉を顰め、着物を取りに行くだけだと、息も絶え絶えな青年へ告げました。 話があるなら、ポチの後に続けと添えて。 |
UP 2009/1/1 かなぶん
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