!注意!
このお話には奇人街のキャラを起用していますが、仕上がりが程好く危険です。
それでも良いという方のみ、どうぞ。

 

 

人魚姫A面 2

 

 ところ変わって、人魚姫が王子様を運んだ砂浜。

 

 薄暗い魔女の窟から照り返す太陽の光が眩しいここまで、一気に泳ぎきった人魚姫は、息を整えるのもそこそこに、薬の蓋へと手を掛けました。

「うっ……」

 本当は勢いで飲み干すつもりだったのですが、うっかり薬の中身を見てしまった人魚姫は、身体ごと手を止めてしまいました。

 まだ開けてもいない、透明な瓶に入った薬。

 魔女の窟では、紅く妖しい光が暗い室内を照らしていたため、そんなに気になりませんでしたが。

 ……な、何だろう、この、形容し難い色合いは。

「の、呑んで大丈夫なのかな? まさか、副作用オンリーで終わったりしないよね?」

 気持ちをそのまま声に出しても、答えてくれる人など、人気のない砂浜にはいません。

 や、やっぱり止めようかな……

 嫌な汗が出て来たのを感じる人魚姫は、折れる心に従いたい気分でした。

 波打ち際に座りつつ、悩める事、少々。

 ええい、ままよ!

 という気概もなく、悩み続ける人魚姫は、自分の身体が海風に当たって、かぴかぴになっていくのを感じていました。

 ヘタをすると、陽にすら焼けてしまいそうです。

 人魚の日焼け。

 これほどまでに、間抜けな姿はないでしょう。

 元々、陽光から遠い海の底に住む人魚の肌は、大抵が生っちろい代物でした。

 こんがり焼けるような肌は持ち合わせていないので、真っ赤になって終わるのが関の山。

 人間になるつもりなら、日焼けは焼けど。可哀相と同情を貰えるかもしれません。

 ですが、人魚のままなら、帰ったところで笑いの種にしかならないでしょう。

「ううううう……呑むべきか、呑まざるべきか」

 決断の時は、刻一刻と近づいていました。

 この薬をくれた魔女に、頑張ります、と力強く誓った手前、放棄するわけにはいきません。

 くぅっ! が、頑張れ、私! 薬の色なんかに負けるな!!

 精一杯、自分を鼓舞する人魚姫は、ようやく、蓋に掛けたままの手へ力を入れ――

「んんっ! んんんっ!! うーんんっ!!!――んぅっ!? あ、あれ? か、固い……」

 力一杯、顔を真っ赤にして、ぜぇぜぇ息が切れるまで蓋を引っ張りましたが、ちっとも開く気配がありません。

 それどころか健闘虚しく、見事に嵌っている蓋には、まるで動いた様子がないのです。

「そ、そんなぁ〜」

 ここに来て、思わぬどんでん返しを食らった人魚姫は、一気に脱力してしまいました。

 力尽きた上半身を、海水の染みた砂浜へ投げ出します。

「ど、どうしよう? 薬は液体だから、割るわけにもいかないし」

 中々アグレッシブな事を口にしつつ、波が行ったり来たりする感触を背に、何か妙案がないかと悩み。

 と、その時、ずれた胸当ての位置を無意識に直した人魚姫の頭に、ある天啓が訪れました。

「――って!? よ、よくよく考えてみたら!!」

 がばっと身を起こした人魚姫、改めて自分の、まだ大人になりきれていない身体を、まじまじ見つめました。

 人間になる事ばかり夢中で考えて来ましたが、たとえばこのまま、人間の足を得たところで。

「ふ、服……服がない!」

 思わず身体を抱き締めた脳裏に、胸当てだけ身につけた、真っ裸の自分の姿が現れました。

 詳しい人間の身体の構造は分かりませんが、どう転んでも痴女です。

 露出狂の変態です。

「や、止めよう! いや、とりあえず今は諦める方向で!!」

 これまで悩んでいた時間は何だったのでしょうか。

 すぱっと決断した人魚姫は、砂浜に手をつくと、海へ上半身を傾けようとし。

「!!?」

 宙に投げ出した手首が、何者かに強く掴まれ、砂浜へ引き寄せられました。

「あぁっ!?」

 仰け反る上半身は、捕らえられた手首が捻られた事により、下半身を持ち寄り、身体を縮ませました。

 次いで襲い来るのは、背中に圧し掛かる重み。

「うぅっ!」

 乗じ、捻られた手首が嫌な音を立てて軋みを上げます。

 人魚姫は度重なる激痛から、背後へ向けて薬を振り翳しますが、今度は別の手に捉えられてしまいます。

 ギリギリ、薬を落とさない程度で握られる手の痛みを受け、声にならない声が人魚姫の喉を通ります。

 な、何なの!? 人間に見つかってしまったの!? 殺されちゃうの、私!?

 響く痛みに過ぎる最期。

 背後の存在を確認する事も出来ず、俯く視界に涙が滲みました。

 すると、何かが頭に押し付けられ、くぐもった声がそこから届きます。

「へぇ? 凄い色の薬だな。それでまた、ボクを殺すつもりかい?」

「!」

 それは、どこかで聞いた事のある声でした。

 人魚姫の胸を切なく締め付け、酷く騒がせる――

 けれど人魚姫が思い出す前に、両手首が更に強く、握られました。

「――――――――――!!」

 容赦のない力に耐えかね、顔を上げて口を開いても声は出ず、見開いた眼から大粒の涙だけが流れてゆきます。

 なので、人魚姫は気づきませんでした。

 先に捻っていた手を離した手が、後ろから抱き締めるように伸び、持っていられなくなった薬を受け取った事に。

 両の手首が解放を得ると同時に、目の前で薬の蓋が開けられた事に。

 そしてそして――

「全く持って忌々しいねぇ。よりにもよって、人間じゃない奴なんかが相手なんて。人間だったら、喜んで対面してやったんだけど」

 愛を囁くように、人魚姫を背後から抱きすくめた人物は、痛みと叫びで朦朧とする彼女の顎を掴むと、薬の縁を唇に押し付けました。

 どろりとした液体が、人魚姫の口内に侵入します。

「っ!? っ! っっ――!」

 見た目通りのえげつない味わいに、我を取り戻した人魚姫は、喉を固定する手へ爪を立てますが、背後の人物は意に介しません。

 上向きに固定された喉は、咳一つ許されず、薬を呑み込む事だけを強要されます。

「はい、お終い」

 やがて、薬がカラになると、これを捨てた人物は人魚姫の口を塞ぎました。

「んんっ!!?」

「っとと。誰が吐いて良いって言った? 全部呑むんだ……ククク、そうして苦しめ。自分で持ち寄った毒で死ぬなら本望だろう?」

 どれだけ暴れても、愉悦に満ちた背後の人物の声は気にしません。

 人魚姫は、告げられた言葉通り、薬の味に悶え苦しみ、反面、薄々検討がついた人物に愕然としました。

 しかしそれは、その人物が自分に対して、責め苦を負わせるような事をしたためではありません。

 私があなたを殺そうとした、なんて……

 確かに彼が船から落ちたのは人魚姫のせいでしょうが、元はといえば、身投げを留めるためにした行為です。

 せめて、誤解だけでも解いて置きたいと身体を仰け反らせてみますが、口元を塞ぐ手は微動だにしません。

 折角会えても、過程はどうあれ薬を呑んでも、想いを伝えられないどころか、酷い誤解をされたままの状態に、涙が止めどなく溢れてきます。

 でも、そんな人魚姫の気持ちなど、依然として彼女を拘束する背後の人物――王子様が汲み取ってくれるわけがありませんでした。

 王子様は人間は好きでしたが、人間以外は嫌いなのです。

 ですから、人魚姫のこの涙が王子様の手に伝っても、全く別の意味で解釈してしまいます。

「泣いて命乞いかい? クク、お生憎様。ボクは人間以外、どうでも良いんでね。何より、お前が持ち寄った毒なんか、ボクに解毒出来るわけがないだろう? 尤も、お前が解毒剤を持っていたとしても、使用を許すはずはないけど」

 耳に押し付けられた唇から、優しく苛む音色が届きます。

 これには一時、薬の味を忘れてしまった人魚姫ですが、次の瞬間。

「っ!!?」

 な、に、これ……?

 内側から喰われてゆく、そんな表現がぴったりの激痛が、人魚姫の全身に広がってゆきました。

 息を吸う度、焼け付く熱が胸に溜まります。

 骨が軋みを上げて歪んでいきます。

 皮膚から段々と潤いが失われてゆきます。

 微かに身じろげば、ばらばらに弾け飛ぶような、鮮烈な痛みが駆け巡ります。

 血が、沸騰したような熱を持って、全てを蹂躙してゆきます。

 意識さえも、八つ裂きにされるような苦痛から、真っ赤に染まってしまったなら……。

 

 

 

「気がついた、かい?」

 ぼんやりした瞳が見知らぬ天井を映したなら、問う声が届きました。

 瞬き数度、人魚姫は仰向けの身体を、声のした方へ傾けます。

 衣擦れの音を立て、掛けられた薄手の布が、さらりと素肌を撫でてゆきます。

 触れる軽さには、妙な感覚が付き纏いました。

 くすぐったいような、恥ずかしいような、変に高揚していくような。

 反面、怒涛の如く激痛が押し寄せていた身体は、痛みの代わりに、やけに重たい反応を示します。

 そうしてようやく、声の主を視界に収めた人魚姫。

 こげ茶の瞳を目一杯見開いて驚きました。

 何せそこには、人魚姫の想い人である、不気味な色彩の王子様がいたのですから。

 サイドテーブルに頬杖をつき、椅子に腰掛けては足を組む、なんとも面倒臭そうな様相で。

「やあ、人魚……いや、今は元・人魚って言った方が正しいかな?」

「?」

 へらりとした笑みのまま告げられた言葉に、人魚姫は小さく首を傾げました。

 人魚姫は置かれている状況を把握するため、ゆっくり辺りを見渡します。

 出入り口と思しき扉が一つ、壁際はほとんどが本棚で、小さなテーブルの上には、枯れた花が頭を垂れる花瓶。

 王子様を背としたなら、締め切られた長いカーテンが、足下にある柵の向こうにあり。

 ……ベッドの、上?

 自分が今居る位置を、そう認識した人魚姫は、続いて顔を思いっきり赤らめました。

 どう考えてみても、この部屋は王子様が使用している部屋で、このベッドも彼のモノ。

 ふかふかの感触に混じって届く、安堵をもたらす香りが鼻腔を擽ったなら。

「!」

 まるで目の前の彼に抱かれている錯覚に陥り、慌ててベッドから抜け出そうとします。

 掛けられていた布を除けつつ、四つん這いでベッドの端を目指し――

「んー? どこに行くつもりだい? その格好で」

「?…………………………!!?」

 な、なななななななななあっ!!?

 王子様がつと指を差せば、つられて自分の身体を見やった人魚姫。

 膝立ちになっては腕用いて胸を覆い隠し、思いっきり悲鳴を上げました。

 いえ、上げたつもりでした。

 しかし、声は干からびた喉をつっかえるだけで、口を出る事はありません。

 王子様から無理矢理呑ませられた薬で、今や本当に人間の姿になってしまった人魚姫は、胸当てすらない裸体を隠すため、布を求めて身を翻します。

 両膝をベッドにつけた状態で、倒れるギリギリまで身体を傾けては、片腕で胸を押さえつつ、もう一方で布を慌ただしく回収。

 その背後で。

「やれやれ。ボクとしては非常に複雑だねぇ? これが最初っから人間だっていうなら、良い角度だって思えるかもしれないんだけど」

「……?」

 背にした王子様からの、意図を計りかねる言葉を耳にし、人魚姫は回収の手を一旦休めると、両膝共々これを支えにして、胸を隠す不安定な姿勢のまま振り返りました。

 すると腰からなだらかに続く、肌と同じ色の丸みの向こうに、王子様の姿を視認。

 けれど闇色の髪に隠れた彼の目線は、人魚姫の目ではなく、その丸みを静かにへらへら眺めており。

「っ!!?」

 ここに来て、人魚姫は自分がどんな格好を晒していたかを知り、涙目になりながら、すとんっとベッドに腰を下ろしました。

 人間の身体の構造、そこから受ける刺激など、人魚姫にとっては初めての事ばかりでしたが、羞恥心だけはしっかりと根付いているようです。

 み、見られた! 見られた見られた見られた見られた見られた見られたっ!

 な、何を見られたのかはよく分からないけど、お嫁にいけない気がするのは何故っ!?

 ベッドにへたり座り、自分の身体を抱く傍ら、もう一方の手で手繰り寄せた布を被ります。

 出来上がった防御壁に、薄っぺらい安心感を得た人魚姫は、次いで背を向けたまま、王子様をキッと睨みつけました。

 ある意味、人魚姫の不注意で、王子様は不可抗力でしたが、それは些細な事でした。

 何より人魚姫が気になるのは、人間になっても身につけているはずの胸当てがない事です。

 これが指し示すのはつまり。

「まあ、今更だけどね。お前の身体は意識がない間に隈なく調べたからさ」

「!?」

「じゃなきゃ、どこまで人間になっているか分からないような奴、ボクが自分のベッドに入れるわけないだろ? ボクは人間が好きだけど、人間以外は邪魔だって思っているんだから」

「…………」

 爆弾発言から畳み掛けるように、人間外という括りだけで調べられたと知らされ、人魚姫の胸がぎしぎし悲鳴を上げます。

 こんな、こんな人だったなんて……!

 苦手な魔女から薬を貰い受け、人間になってから王子様の性格を知った人魚姫は、あまりの悔しさに俯いては拳を握りました。

 一方的に恋心を抱いてしまったのは人魚姫の方ですが、気分は立派に詐欺被害者です。

 もしも最初から、王子様の性格がこんなのだと知っていたなら。

 ……ううん。知っていても、たぶん。

 薄布ごと胸の前で両手を握った人魚姫は、砂浜で王子様を抱き締めた時を思い出していました。

 あの時、なけなしの体温を与えたのは、確かに罪悪感も一つの要因ですが、それだけではありませんでした。

 陸を目指す最中、波に揺られていたその手が。

 誰にも救いを求めようとしない、笑んだままの顔で――。

「それは兎も角として」

「…………」

 唐突に人の記憶へ介入してきた王子様の声に、人魚姫は毒気を抜かれて肩を落とします。

 浸ることも許されないのかと、半ば投げやりに上を向けば、背後からそろりとした動きで肩へ手が置かれました。

「!」

 ビクッと驚いたのも束の間、肩を掴んだ手は抵抗する隙も与えず、人魚姫の身体を反転、ベッドへ仰向けに押し倒しては、王子様の赤い笑みを天井に映しました。

 突然の事で動けない人魚姫を尻目に、片方の手が彼女の首にかけられます。

 力の加えられていない状態でも、喉元に軽く掛かった圧で息苦しさを感じ、これから何が行われるのか察した人魚姫は、身動き出来ずにただ恐れを浮べました。

 首を、絞められて……殺されてしまうの、私?

 死を予感した間際、脳裏に過ぎるのは姉姫が語るよう促した注意です。

 捕まって殺されてしまう――

 人間とは、そういう生き物だと聞かされていたのに、これを破ったばかりか、その人間相手に恋をしてしまった罰なのでしょうか?

 もう、泣く事も出来ません。

 徐々に絞められゆく首を想像して、自然と力が入ってゆきました。

 けれど抗う心は当に在らず。

 そうよ……どうして今頃思い至ってしまうのかしら?

 たとえ人間になれたとしても。

 この人に受け入れて貰えなかったら。

 私には……人間になってしまった私には、行くところなんてどこにもないのに。

 人間になる薬――その効果を“人間になる”事だけしか知らない人魚姫には、頭っから元の姿に戻る選択肢はありませんでした。

 いつか効果が切れてしまう、そんな希望的観測すらありません。

 いえ、王子様に想いを知って貰えない以上、人魚姫には絶望しかなかった、といった方が正しいでしょう。

 なので、人魚姫は王子様を最期のその時まで、視界に留めようと見つめ続け。

 しかし、王子様は首を締め上げず、それどころか、労わるように喉元を指で撫でてきました。

「!?」

 全く想像のつかなかった王子様の動きに、人魚姫の目が大きく見開かれます。

「喉……見た目には異常がなかったはずだけど。声が出ないのかい? 耳は聞こえているようだけど。あの薬のせいかな。その前まで、お前は一人で喋っていたから」

「……?」

 その前?

 語られた言葉に人魚姫が不思議な面持ちで首を傾げると、王子様は少しだけ困った顔つきで微笑みました。

「もしかして、気づいていなかった? 人通りは少なくても、あんな何もないところで喋って、誰の耳にも届かないって思っていたのかい?」

 心底呆れたような声音。

 意味を理解して人魚姫がサーッと顔を青くさせれば、王子様は苦笑のていで首を振りました。

「ボクはこれでも一応、王子という身分でね。丁度、護衛たちが一緒に来ていてさ。結構、骨だったよ。お前の存在を知られたくないからって、全員に当て身を食らわせるのは」

「…………」

 王子様に気絶させられた護衛。

 ちょっぴり憐れに思ったなら、王子様は人魚姫の頬に掛かった髪を優しく除けます。

 思わぬ行動にまたしても驚き、今度は少しだけ顔が熱くなりました。

 けれど王子様は人魚姫の想いを汲む事なく。

「ボクはね、お前を、ボクを殺しに来た敵だと思っていたんだよ」

「!」

「だから、彼らを巻き添えにしたくなかった」

 違う、そう伝えたくて、人魚姫は泣きそうな顔でゆっくり首を振ります。

 これを嘲笑うかのように、王子様は続け。

「この屋敷の令嬢が、砂浜に打ち上げられたボクを助けたって事になっているけどさ。あの船からここまではかなり距離があるんだ。何より、潮の流れの関係上、ボクはここに着かないはずだ。なのに、ここの砂浜にいた。しかも、生きて、ね」

「…………」

「って事は、ボクは誰かに運ばれた可能性が高い。それで考えるわけさ。何故? と。真っ先に浮かんだのは、ボクが船から落ちる原因となった、海から聞こえて来た声。あれはお前だったんだろう?」

 人魚姫は小さく頷きました。

 王子様が落ちたのは、やはり自分が原因だったと改めて思い知らされ、恥じ入るような小ささで。

 人魚姫の中で申し訳ない気持ちが充満してゆきます。

「でも、自分を落とした声の主が助けてくれるなんて、よっぽどのお人好しじゃない限り思わない。人間は好きだけど、ボクはお人好しじゃないからね。だからお前の声が聞こえて来た時、真相を知りたいと思った。そしてもし、ボクを殺す目的なら殺してしまおうと」

「…………」

「で、お前が手にしていた凄い色の薬を見てさ? 助かったのはボクの運、やっぱり殺すつもりだったんだと思って――後は知っての通り、ボクはお前にあの薬を呑ませた。まさかそれが、人間になるための薬とは思わず」

「…………」

「それでボクはお前をここに運んだんだ。海水と砂を洗い流して、本当に人間になったのか隈なく調べて」

「!」

「結果は、まあ、お前をベッドに運んだ通りだったけど」

 わざわざもう一度告げられた所業に、人魚姫の顔がかっと赤くなりました。

 クツクツ肩を揺らした王子様は、一変、闇色の髪の隙間より、笑んではいても冷ややかな混沌の視線を投げてきました。

「さて。ここで改めて聞くんだけど、あの薬は本当に人間になるためだけの薬だったのかな? それとも――人魚が呑めば人間になるだけで、人間が呑めば死に至らしめる代物だったのか? 人間になる前のお前の苦しみようじゃ、後者もありだとボクは考えている。さあ、どっちだ? 声が出ないなら、首を振って答えろ。前者なら首を縦に振れ。後者なら横に振れ」

 王子様から滲むそら恐ろしい気配に怯え、危うく首を横に振りかける人魚姫でしたが、唇を噛み締めては、思いっきり首を縦に振りました。

 勘違いを訂正するチャンスに、間違いなどあってはならないのです。

 すると王子様は興味をなくしたように、「ふーん?」とやる気のない声を発しました。

 次いであろうことか、人魚姫の上にそのまま覆い被さってきたではありませんか。

「!?」

 ビックリして固まった人魚姫は、仰向けにされてしまったせいで肌蹴た薄布の存在を、王子様の服の感触で知り、更に身を縮ませます。

 そんな人魚姫を知ってか、彼女の耳元へ横向きの顔を近づけた王子様は、くすくす笑って言いました。

 呼気で人魚姫の耳を弄りつつ、その身体へ手を這わせながら。

「これは、面倒な事になったねぇ? もし後者なら元・人魚、とっとと殺しちゃったんだけど。今は人間の前者、だからねぇ? 無下にも出来ないし、かといって、何の役職もなくこの屋敷には置けない。誰かに預けるってのも手だけど」

「!」

 王子様の手の動きに肌をざわめかせる人魚姫は、羞恥と言い知れぬ高揚の最中掛けられた言葉に、だらけていた手を彼の背へと回しました。

 必死でしがみつき、離れたくない意思を伝えます。

 と、王子様は分かっていた様子で、人魚姫の耳の輪郭を擽るように舐めました。

 瞬時に真っ赤になった人魚姫が、耳を庇うように王子様の方を向けば、今度は唇に触れる冷ややかな熱。

 内側を蠢くモノが通れば、知らず仰向けになった身体から唇が静かに離され。

「クク……それが嫌ならイイ手がある。どうやらお前は、ボクから離れたくないらしいからさ?」

「……?」

「夜伽をしろ、元・人魚」

「!」

「啼けない、けれどとても綺麗な声を持つ、ボクの小夜鳴き鳥に為るんだ――」

 再び重ねられる唇。

 跳ね除けられる軽さだったにも関わらず、人魚姫は拒むことなく、逆に王子様を抱き締めました。

 

 


2009/10/7 かなぶん

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