!注意!
このお話には奇人街のキャラを起用していますが、仕上がりが程好く危険です。
それでも良いという方のみ、どうぞ。
人魚姫A面 3
ところで、人魚姫は人間になったところで人魚なので、夜伽というモノがどういうものなのか、さっぱり分かりませんでした。 ですから、王子様の口付けを避けなかったのは偏に、その行動こそ、彼と共に入られる手段と思っての事です。 まあ、性格はどうあれ想い人との口付け、拒む理由もありません。 このため――
人魚姫が王子様へ“夜伽”をするようになってから、三日程経ったある日の事。 薬の影響で、激痛から満足に立つ事も出来ない人魚姫は、部屋に帰ってきた王子様の袖を、ベッドからくいくい引きました。 「何?」 へらへらした笑い顔はいつも通りの王子様、人魚姫が目だけで何かを訴えかければ、両腕を彼女へ差し出します。 人魚姫はそのまま王子様に抱きつくと、テーブルの脇にある椅子へ座らされました。 テーブルには紙とペンが置かれています。 言葉の話せない人魚姫のために、王子様や世話をしてくれる給仕が文字を教えてくれたので、少しくらいなら筆記で言葉を伝えられるようになりました。 ペンにインクをつけ、すらすら書いた文章を、向かいに座った王子様へ提示します。 “可哀相? 言う とぎ 私 給仕” ほとんどが単語ばかりで、三番目の文字に至っては音だけでしたが、王子様は「ああ」と頷きました。 「給仕の人に、ボクの夜伽なんて可哀相って言われたのか」 そうなんです。 そのものずばりを言い当てられ、人魚姫は頷いた後に小首を傾げました。 どうしてでしょうか? 王子様はそんな人魚姫の心を読んだかのように、問いに答えます。 「まあ、自分で言うのも何だけど、ボクは歪んでるからねぇ。相手をしたがる子はいないんだよ」 「…………」 「ん? お前がいるって? そう、だからこそお前は、可哀相と言われるんだ」 テーブルの上に置かれた王子様の手に自分の手を重ねれば、やんわりそこから、彼の手が抜き取られました。 併せて引き下がった人魚姫は、続いて別の言葉を紙に認めます。 “今 申し訳ない 聞く とぎ 何?” これを見た王子様は、浮かべていた笑みをひくっと引き攣らせました。 「今更聞くのも何だけど夜伽って何? ってところかな?……なるほど。だから今まで何も言わなかったわけか」 「?」 これまた正しく解釈してくれた王子様ですが、喋れない事を失念した言に、人魚姫の眉が微かに寄りました。 気づいた王子様は、へらり、人魚姫に笑いかけます。 「どちらにしろ、お前が気にするべき事じゃないさ。世間的にはお前は憐れな生贄。それで十分。――さてと、そろそろ寝るかな?」 言って、席を立つと、着替えを始める王子様。 何故だか人間の男の裸体を、上半身であっても直視出来ない人魚姫は、届く音に耳を真っ赤に染め上げます。 しばらくして。 「おいで」 顔をそちらへ向けたなら、手を伸ばす王子様の姿がありました。 抱きつけば再びベッドに下ろされ、王子様が部屋のランプを消してゆきます。 カーテンの隙間から蒼い月光が滲むと、二人の姿は同じ寝具の中にありました。 けれど、言いだしっぺの王子様は、クツクツ意地悪く笑うばかりで眠る気配が感じられません。 不思議に思った人魚姫が至近の白い頬を撫でたなら、肩を揺らしたまま、王子様が首元に顔を埋めてきました。 こうして近づきはしても、口付けを交わした時のように、抱き締めてはくれない身体。 人魚姫の方から抱くと、王子様は揺れを止めて言いました。 「この事を知ったら、どう思うんだろうねぇ? 人魚だったお前は、人間の身体の仕組みをまだよく知らないのに――とかさ」 「……?」 王子様の言っていることは何一つ分からない人魚姫ですが、愉しそうな事だけは理解できました。 「クク……お前は立派に伽を果たしているよ。本当に、退屈だけはしない」 ……褒められて、いるのかしら? やけに上機嫌な王子様の様子に戸惑いつつも、人魚姫は王子様の髪を一定のリズムで撫で続けます。 「お休み、ボクの小夜鳴き鳥」 寝入る合図を受けて撫でる手を止め、きゅっと王子様を抱いた人魚姫は、ふと思いました。 夜伽もよく分からないけど、小夜鳴き鳥もよく分からないわ。 身体が人間になったところで、王子様の言う通り、人間の知識はまだまだ足りません。 それでも。 ――とても綺麗な声を持つ、ボクの小夜鳴き鳥。 人間以外を邪魔だと言ったくせに、人間になった今、失われてしまった声をそう評されたのだから、人魚姫は幸せを感じていました。 人間でも、人魚でもない、私だから、こうして傍に置いてくれているのだと。
しかし、幸せな日々というモノは、そう長くは続きません。
その日、王子様の部屋を訪れた、顔馴染みの白髪の給仕は、ベッドメイキングのために椅子へ移動させた人魚姫に言いました。 「そういや知ってるかい? アンタの飼い主、近々この屋敷の娘と結婚するんだってさ。いやはや、世も末だねぇ? あんなの相手に結婚なんてさ。まあ、娘も娘でちょいと変わってるから、お似合いっちゃあお似合いなのかもしれないけど」 ……結婚? 給仕の言葉に首を傾げる人魚姫。 人魚といえど、それがどういう意味なのかは分かりますが、理解は出来ませんでした。 結婚を間近に控えた者が、他の異性を近くに置けば、何かと問題が生じると思ったからです。 何より、王子様の隣に誰か別の者がいる様は嫌でした。 だからこそ、人魚姫は給仕の言葉をただの噂と片付け。 けれど、世話焼きの給仕は去り際、首を傾げた人魚姫へ、とある一冊の本を渡してきました。 書く事には未だ不慣れな人魚姫でしたが、読む事に関しては、かなりの文字を覚えていたので、最初は何気なく、途中からは食い入るように読み耽ります。 「…………」 最後はぱたり、声が出ようとも、陰鬱な沈黙を空気に織り交ぜて発し。 夜伽って、そういう意味だったんだ……相手さえ気にしなければ、私は居ても居なくても、どっちでも………… 夜伽が何をする事かは詳しく書かれていませんでしたが、大体は把握出来ました。 要するに、人魚姫の立ち位置は代えのきく存在。 飽きたら用済みの烙印を押されて簡単に捨てられる、ただの物に過ぎないと知り。 「っ」 本を抱えた人魚姫は、テーブルを支えにして足を床へ押し付けました。 途端、全身を穿つ激痛に脂汗が浮かんでも、人魚姫は構わず、じりじりベッドまで歩いていきます。 しばらく使っていなかった足は、萎えて細くなっていましたが、よろけても、それにより力一杯踏み込んだ足から増した痛みを感じても、人魚姫の歩みは止まりません。 息も絶え絶え、ベッドへ伏す様に辿り着いた人魚姫は、抱えていた本をベッドの足下に隠しました。 この本を読んでしまった事が王子様にバレたら、どう思われるか分かったものではありません。 最悪、バレた事を理由に、あっさり捨てられてしまう可能性さえあるのですから。 荒い息を整える中で、人魚姫は少しだけ寝具に涙を零しました。 そうして自分の浅はかさを呪います。 幸せを感じてしまった事に不甲斐なさを抱きます。 小夜鳴き鳥――そう告げられた言葉さえ、今となっては別の意味に捉えていました。 誰かのモノとして檻に閉じ込められ、羽ばたきすら満足に出来なくなった鳥の姿が、容易に自分と重なっていきます。 唯一つ違うのは、人魚姫は自分から囚われに来た事でした。 副作用の話を聞いていながら人間になる事を選び、身動き出来ない状況を喜んでさえいた自分。 何も知ろうとはせず、考えもせず。 与えられた世界だけで満足し、この日々が続くと思い込んで。 どうしよう、これから…… 足に残る痛みを感じながら、人魚姫は今更ながらに考えます。 いつかは捨てられてしまう自分を感じながら。 それでも、自分からは王子様の元を離れられない気持ちを知りながら――。
それからまた、幾日か過ぎ。
夜伽の存在価値を知った日より、人魚姫は歩く練習を始めていました。 歩を進める度訪れる痛みは、決して慣れるモノではありませんでしたが、萎えていた足の力は徐々に回復してゆきます。 かといって、王子様に自分の中の変化を悟られては、元も子もありません。 “夜伽”は、噂を知った後も、変わらず続けていました。 筆記による会話も忘れずに。 けれど、毎日顔を合わせている相手、隠し通すのは難しく。 に、鈍い人だとばかり思っていたのに、まさか勘付かれていたなんて。 今日も今日とて壁を伝いつつ、廊下で歩行練習をしている人魚姫の脳裏に、色々と危機一髪だった、朝の出来事が浮かんできます。
今朝方、着替えと食事を終えて後、王子様から「最近、元気がないようだけど、具合でも悪いのかい?」と、唐突に問われた人魚姫。 口が聞けないのを良い事にはぐらかしてみたものの、元・人魚である人魚姫への追求は厳しく、朝っぱらからベッドに押し倒されてしまいました。 相手が人間なら、あっさり引いたのでしょうが、人魚姫の反抗的な態度に業を煮やした王子様、強引に唇を重ねてきました。 “夜伽”を了承してからは、一度も触れられなかった熱に翻弄され、人魚姫のこげ茶の瞳が潤めば、赤い笑みがするりと離れます。 ここに来て、初めて王子様の顔の造りが、やや男性寄りの中性的な美貌と知った人魚姫ですが、この状況下、そんな事はどうでも良いことでした。 いつもの表情に酷薄さがプラスされたなら、「答えたくないなら構いやしない。お前の身体に直接聞けばいいんだ。具合の良し悪しはすぐに分かるからねぇ?」と、意地悪そうな声音で王子様は言いました。 続け様に首元へ頭が埋められ、人魚姫がその動きにビクッと震えれば、苦笑を浮べた顔が上がり、「全部が全部、とは言えないけど。なるべく辛くないようにするから、そんなに怯えなくていいよ?」と、実にのほほんと告げられます。 王子様の言葉に、何やら簡単に安堵を得た人魚姫は、朱に染めた頬で微かに頷きました。 これを「ん、いい子」と褒めた王子様は、軽い口付けを人魚姫に施すと、その唇を段々下降させていきます。 併せ、身体を這いずり回る手に、人魚姫から幾度となく吐息が為されました。 二人とも、特に寝相が悪いわけでもなかったので、寝具はいつも整っていましたが、この時ばかりは乱れに乱れてゆきます。 背中の紐がしゅるりと解かれれば、薄桃の衣の下から肩が剥き出しとなり、王子様の動きに合わせて人魚姫の両膝が立てば、仄かに上気する腿が露わとなります。 「!?」 そこへひんやりする手が置かれたなら、人魚姫は少しばかり驚き、これにより王子様の顔が上がったなら、何でもないと首を振り、続けて欲しいと黒い肩に縋りつきました。 王子様のしている事は、酷く人魚姫の羞恥を誘いますが、同時に、もどかしくも満たされていくような気分を味わわせてくれるのです。 しかし、縋りつくと同時にぎゅっと目を瞑った人魚姫は、王子様の動きが完全に止まってしまった事を知りました。 私が驚いてしまったせいで、気分を害してしまった――元々何のために、こんな目にあっているのかを、すっかりさっぱり忘れてしまった人魚姫はそう思い、恐る恐る瞳を開きます。 けれどその先に、こちらをじっと見つめる王子様がいると知ったなら、自分が目を開けるのを待っていたのだと察しました。 される事をしっかり見ておけと言わんばかりに、王子様の眼が細くなれば、人魚姫の頬は更なる羞恥を感じ、益々赤くなっていきました。 そんな彼女を満足そうに見やった王子様は、視線を交わしたまま死角の手を動かし、それぞれ近くにある曲線をなぞり撫でていきます。 「!」 出ない声を、これほどまでに欲した事はありません。 叫びたかったのは、制止だったのか、それとも求めだったのか、未知の感覚に支配され始めた人魚姫には分かりませんでした。 でも確かに、何かを王子様へ告げたいとは思いました。 ともすれば、存在の乏しくなる自分にも、意識があるという事を、分かって欲しいと。 自分自身にも、知らしめるために。 上げられない声の代わりに、触れてくる人魚姫をどう思ったのか、王子様は再度、彼女の身体へ隠れていってしまいます。 切なくなるほど緩慢に、かと思えば細く長い指が柔肌の上を妖しく蠢きます。 悶えれば緩まっていた服が更に肌蹴、吐息が肌を柔らかく撫でていったなら、人魚姫は思わず闇色の髪に手を埋め、身を起そうとします。 これを受けて、下を這っていた右手が背に回り、程なくゆっくりとベッドへ下ろされた人魚姫は、潤んだ視線を王子様へ向けます。 王子様は背中から引き抜いた右腕を人魚姫の顔の横に置き、乱れた褐色の髪を梳いていきますが、労わる動きとは裏腹に、柔肌に埋められたままの左手や素足に絡みつく腿は、艶かしい動きを止めてくれません。。 「んー、これでも声は出せないのか。あの薬、人魚を人間にするくらいだから、やっぱり呪いの類が含まれていたのかな?……こっちはどうだい?」 「――――!」 「これも駄目か」 ふいに変えられた攻め方で、人魚姫の口は大きく開けられましたが、出てくるのは声なき嬌声だけ。 少し残念そうに王子様が肩を竦めれば、人魚姫の眉が僅かに顰められました。 本当はもっと不快感を示すつもりでしたが、止まない動きは人魚姫の集中力を否応なしに削いでいってしまうので、これが精一杯。 しかし王子様には伝わったようで、困り笑いが喘ぎに揺れる視界の中に現れました。 「身体自体は、健康そのものって分かったけどねぇ。それとは別に、声が聞ければと思ったんだよ。そうすれば、筆記よりも早く、お前の想いを聞けるでしょ? こんな風に」 「っ!……っ、っ!」 鮮やかに手口を変えては訪れる焦れったい刺激の連続に、幾度となく人魚姫が跳ねたなら、王子様は喉を鳴らして笑います。 荒い呼気を重ねて震える額を、さも愛おしいとでも言うように撫でつつ。 「まあ、声が出ない利点はあるかもね。たとえば朝っぱらからこんなコトしてても、誰も気づかない、とか。お前、随分と免疫がないみたいだし、声が出ていたら大変そう」 「!」 ぬけぬけとそんな事を言う王子様に対し、人魚姫の中で一瞬燃え上がる負の感情。 でも、長続きはしませんでした。 何故なら。 「だけど、やっぱり声があると良いねぇ? 元・人魚とはいえ、人間と同じ言語。聞き易かったのにさ?」 「…………」 最後に落とされた唇、絡みつく熱に、自らも応えてしまった人魚姫は、これ以上想ってはいけないと分かっていながら、王子様の言葉に幸せを噛み締めてしまいます。 相変わらず続く、熱を伴い馴染ませようとする行為には戸惑いながら。 自分は王子様に求められているのだと、錯覚しつつ――。
色鮮やかに再生された脳内の映像に、ぼひゅんっと音を立てる勢いで、真っ赤になった人魚姫は、壁にもたれて熱い息を吐き出しました。 あの後、屋敷の主が呼んでいるというノック音に動きを止めた王子様は、それまでの動きを忘れた風体で身を起こし、「今行くよ」と返事をしました。 まだまだ荒い息の人魚姫は、解放を得てほっとする反面、焦れた気持ちを持て余してしまいます。 巡る熱を処理しきれない内に、服を整え身を起こしたなら、王子様がこちらを向いて手を伸ばしてきました。 羞恥を伴う期待と変化する自分への不安とでビクつけば、顎下から掬い上げるように頬へと手を這わせた王子様は、クツクツ笑い。 ……続きは夜にしよう、って言われたけど…………どうすれば良いんだろう。 告げられた“続き”を、元気がない原因の詮索だと信じて疑わない人魚姫は、思いとは裏腹に、去る間際に重ねられた唇を無意識になぞります。 王子様の求めに答える事。 それはすなわち、人魚姫からの告白を意味していました。 けれど一方的な片想い、まさか王子様から告白して欲しいとは思っていませんが、告げたところで代わりのいる自分、気づかれたら面倒臭いと捨てられてしまいそうです。 元・人魚なら尚更簡単に、釣り人が目当ての魚じゃないと海へ戻すようにあっさりと。 彼らにとっては命を助け、自由を取り戻させたような感覚でしょうが、傷ついた身体が治るには時間が掛かります。 失恋……そうか、これも一種の失恋なんだわ………… 告げても告げなくても、いつかは捨てられる身。 鬱々とした想いに支配された人魚姫は、仰々しい溜息をつきました。 「はあ……」 …………………………あれ? 声が出ないはずなのに、絶妙のタイミングで声が聞こえ、目を丸くした人魚姫は前を向きました。 するとそこには、人魚姫と同じように壁へ身体を預けて項垂れる、長い黒茶の髪の後姿がありました。 あの人は確か、王子様の結婚相手……。 歩くようになってから、出くわすことが多々ある娘に、人魚姫の足が退きます。 が、薬の影響を忘れた行いは、いつも以上の激痛を人魚姫にもたらしてきました。 「――――!!」 甲高い悲鳴を喉に詰まらせた人魚姫は、立つ事もままならず、ずるずるしゃがみ込んでしまいます。 声は出ずとも、音だけで伝わる動きに、避けようとしていた娘が気づかないはずはありません。 「ややっ!? これはこれは、王子様の。いかがされました? 足が痛いのですか?」 「…………」 すかさず近寄ってきた娘は、人魚姫が何でもないと首を振っても意に介さず。 「ささ、背にお乗り下さい。お部屋までお運び致しますぞ。なに、ご心配めされますな。見た目ほど、柔ではございませぬゆえ」 屋敷の娘からおんぶを申し出られては、屋敷のお世話になっている王子様のところで、これまたお世話になっている人魚姫が、断わる事など出来はしません。
体格差から最初はふらついたものの、宣言通り、人魚姫を王子様の部屋まで運んだ娘は、ベッドに彼女を下ろすと、自分は近くの椅子に腰掛けました。 てっきり、どこかへ行くと思っていたため、人魚姫の首が小さく傾ぎました。 廊下で会う事はあっても、大概はすれ違う相手、何か目的があるのかと考えれば、この部屋の住人である王子様の姿が浮かびます。 お話があるのなら、何も目の前でしなくても…… 叶わない恋路と分かっているのに、この上見せ付けられでもしたら、精神的ダメージは計り知れないでしょう。 暗くなる一方の人魚姫。 けれど娘は、王子様の到着をまたずに口を開きました。 「ところで、その……私如きが訊ねるのも大変に失礼かと存じますが、貴女様は記憶を失くされ、身寄りもなく、声も満足に発せられず、足もあまり宜しくなく、それでいて、王子様の夜伽を勤めていらっしゃるのですよね?」 前半部分は、王子様がこっちの方が都合が良いと捏造したお話ですが、記憶や身寄り以外は間違っていないため、人魚姫はコクリと頷きました。 この返事に頷き返した娘は、目元まで隠した前髪の下を苦笑に象りました。 「王子様も酷な事を為さるお方だ。幾らお気に召したおなごとはいえ、己が何者かも判別し得ない方に、無理強いをさせるとは」 「!」 娘の言い分に驚いた人魚姫は、王子様には良くして貰っていると示すため、首をぶんぶん横に振りました。 同じ位置にもつけない恋敵ですが、やがては王子様の妻となる人に、変な勘違いをされたくはなかったのです。 そんな必死さが届いたのか、娘は口元の笑みを深めました。 ちょっぴり意地悪そうに、指で自身の首筋を示しつつ。 「ほほう? では、そこなところに幾つもある点は? 執拗とも取れますが」 どうやら人魚姫の首筋には、王子様が良く思われない理由があるようです。 とはいえ、自分では首筋は見えません。 それどころか人間の姿になってからというもの、人魚姫は自分の身体を見る機会があまりありませんでした。 着替えにしても風呂にしても、世話をしてくれる人がいたため、必要最低限の範囲しか見ていません。 全身を見る事になるのは、着替えを終えて姿見を覗いた時くらいで、給仕が持ち寄るそれは現在、この部屋にはありませんでした。 すると娘がどこぞから手鏡を差し出してくれたので、頭を下げて受け取った人魚姫は、早速言われた箇所を眺めます。 ――が。 「…………?」 「……もしや、何故赤くなっているのか、分かっておられない?」 「…………」 「…………………………ちと、失礼」 瞬きだけの反応に、あんぐり口を開けた娘は、断りを入れてベッドに近づくと隣に腰を下ろし、人魚姫の左手を取っては、その甲を己の唇に寄せました。 何をされるのか分からない人魚姫は、小さく眉を寄せますが、次の瞬間。 「!!」 娘の唇が、艶かしく甲を這って吸い付くのを目の当たりにし、大袈裟なくらい仰け反りました。 目まぐるしく巡る熱に口元を押さえたなら、唇を離した娘は人魚姫に甲を向けます。 ただ見る事しか出来ない人魚姫は、それを視界に納めると一旦混乱を止め、鏡の中の自分の首筋を再度確認。 「!」 娘の指摘を完全に理解した途端、人魚姫の顔が真っ赤に染まりました。 ついでに、自分の背格好よりも小さい娘が知っている事を、今日に限っては廊下で会う度、顔を逸らした屋敷の者たちが知らない訳がない、と思い至りました。 両頬に手を当てて熱を冷まそうとすれば、椅子へと戻っていった娘が、やれやれと首を振ってぽつりと漏らしました。 「確かにこれでは、王子様も無理を強いたくなりますな。貴女様はどうも警戒心が薄い。無作法者は見つけ次第、牢屋にぶち込んでいる我が屋敷とて、絶対に安全というわけではありますまいに。部屋におられる内はそれでもようございましたが、出歩かれるとなれば、見えるところに印を刻みたくもなるでしょう」 「?」 「はあ、ですから……いや、これでは埒が明きませぬ。要するに、私が申し上げておきたい事は――」 言葉に困惑しか示さない人魚姫に、頭痛を堪えるような仕草をした娘は、向き直ると真っ直ぐな声音で言いました。
「貴女様は王子様と私との縁談を、祝福する気はございますか?」 |
2009/10/11 かなぶん
修正 2009/10/12
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