!注意!
このお話には奇人街のキャラを起用していますが、仕上がりが程好く危険です。
それでも良いという方のみ、どうぞ。

 

 

人魚姫A面 4

 

 娘の問い掛けに、一も二もなく頷いた人魚姫。

 心中はとても複雑でした。

 敵わない恋敵から決定打を突きつけられた気分です。

 けれど娘はこの答えに喜ぶ素振りを見せず、「失礼仕りました」と部屋を去っていきました。

 そしてこの夜、部屋に帰って来た王子様から、結婚の日取りが四日後に決まった事、今日から一緒に過ごせない事を人魚姫は聞かされました。

 捨てられる準備段階に入ったと思い至った人魚姫は、娘が残した手の甲の痕を目ざとく見つけた王子様に、「これはどうしたんだい?」と問われても、何も反応を示せません。

 これへ笑ったまま眉を顰めた王子様は、「ボクの、って意味が、よく分かっていないみたいだね?」と言うなり、朝のように人魚姫を押し倒しては唇を奪いました。

 唯一つ違うことがあるとすれば、されるがままの人魚姫の瞳から、涙が零れたことでしょうか。

 気づいた王子様が優しく拭っても、人魚姫は動けずじまい。

 赤い口から小さく溜息を零した王子様は、手の甲の痕を噛み付くように啄ばむと、人魚姫の頭を軽く撫でました。

 それでも天井を見つめたままのこげ茶の眼を知っては、手で覆い隠して閉じさせ、静かに身を起こします。

 手を離す間際、「しばらく会えなくなるけど、いい子でいるんだよ?」と言い残した王子様は、人魚姫が起き上がった時には部屋におらず。

「…………っ」

 口元を覆った人魚姫は、自分は捨てられてしまった、もういらないのだと、必要もないのに声を押し殺すようにして泣きました。

 絶望に打ちひしがれ、意識を手放すまでずっと、涙が枯れても泣き続け――

 

 

 

 

 

 ところ変わって、ここは海底の魔女の窟。

「…………ちっ」

 妹を探しに来た姉姫の依頼と、想いを自覚した自分の益のために、人魚姫の様子を水晶玉を介して視ていた魔女は、胸糞が悪いと盛大に舌打ちしました。

 人魚姫が地上にいると知った姉姫は、その一因である魔女を叩き切ってしまいそうだ、と言っているため、ここにはいませんでした。

 叩き切りたくても、頼れる者が魔女以外いないので、短気な姉姫にとっては、同じ場所で待つことすら苦痛なのでしょう。

 したがって、どれだけ魔女の機嫌が悪くなっても、気づく者はおりません。

「くそっ、俺がもっと早く気づいていたなら!」

 人魚姫から薬の礼として、とびきりの笑顔とキスを貰った魔女が復活したのは、なんとこの日の早朝でした。

 恋慕のまま、怒れる姉姫をとっとと追い出した魔女は、早速、人魚姫の現状を把握するため、先の水晶玉で様子を見始めたわけなのですが。

「王子の野郎……俺の人魚姫にいらん事ばかりしやがって」

 つっ込みどころ満載の言葉を吐いた魔女の眼に、泣き伏せる人魚姫とは別の光景が再生されていきます。

 

 

 水晶玉が最初に映したのは、愛しい彼女の腕に抱かれた男の寝姿でした。

 人魚姫だけをピンポイントで、水晶玉へ映そうとしていただけに、この映像は魔女に嫌な予感を抱かせました。

 知らん内に、人魚姫の隣が埋まってしまったのか、と。

 しかし、魔女が魔力を強めて、よくよく視てみると、そういうわけでもない事が、明らかになってきました。

 どうやらこんな寝姿を披露――覗いている自覚は魔女にありません――しているくせに、人魚姫はまだ完全なお手付きにはなっていないようです。

 一先ずほっとした魔女は、それが何を意味するのか考える事もせず、早速、男を呪う方法を考えます。

 寝ている内ならば、夢の中に呪いを潜り込ませ、とっとと殺す事が出来そうでした。

 思い立ったが吉日、魔女は水晶へ手を翳しますが、途端、男の眼が開き、煩わしそうにこちらを見たではありませんか。

 少しばかり、緑色の眼が見開かれたなら、へらりと笑う男は、見せ付けるかのように、人魚姫の胸に顔を埋めつつ。

「やれやれ。まだその段階ってわけでもないのに、変な邪魔が入ってきたねぇ。仕方ない。そろそろちゃんと付けようかな。歩き回るようになってきたし、目立たない処ばかりじゃ、牽制にもならないし」

 言って、人魚姫の寝間着を解きがてら、彼女を抱き起こすと唇を重ねました。

 総毛立つ男の行為に魔女が身を乗り出せば、薄っすら人魚姫の目が開きました。

 ぼんやりした眼差しは、まだ眠りの内にある事を示しています。

 そんな人魚姫へ、男は手の動きは止めずに言いました。

「いい子だから、まだお眠り。最後はちゃんと、君の意識がある内にするから、ね?」

 すると、甘えるように男へ向けて微笑み頷き、目を閉じる人魚姫。

 ……おいおいおいおいおいおいっ!!? ふ、普通、そこで目を閉じるかっ!?

 愛しい人魚姫なれど、否、だからこそ全力でつっ込みたい魔女でしたが、海の底での暮らすこと早ウン十年。

 準備もなしに地上へ赴けば、水圧の差で身体がでろでろになってしまい、身動きが取れません。

 変なところでメルヘンから逸脱した世界観はさておき、今は見る事しか出来ない身が恨めしいと思えば、寝間着の内から柔肌が覗き始めました。

 ! こ、これは……

 自分ではない男の所業だというのに、想いを自覚した魔女の眼は、食い入るように人魚姫の肌を視つめます。

 見知らぬ男の手がそこを這えば、苛立ちと共に、言い知れぬ背徳感が魔女を包んでいきました。

 覗いている時点ですでに色々アウトなのですが、この時の魔女にそんな事を思う余裕はありません。

 目を閉じた人魚姫が、時折、可愛い反応を示したなら、一緒に身悶えてしまいます。

 まるでお預けを食らった犬のように、水晶をハァハァ切なげに見つめる魔女の痴態は、幸いな事に誰にも見られませんでした。

 しかしそれは、見る事しか出来ない魔女にとって、何の慰めにもなりはしません。

 あ、クソッ!? そこをどけ! もう少しずらせ!

 終いには、そんな注文まで水晶玉の向こうから付ける始末でした。

「クク……さてと、それじゃあ」

 おおっ!?

 おもむろに男の手が人魚姫の胸元を這い、その部分の寝間着が肌蹴てゆきます。

 が、肝心な処は男の腕にまだ隠されていて、魔女からは視えません。

 じれったい思いを抱きつつ、それでも尚、魔女が今か今かと身を乗り出したなら。

「おっと。ここから先は誰にも視せられないな。けどまあ、ここまで魔力を維持するのも大変だろうから、代わりにイイモノを見せてやるよ、魔女」

 いつから男は、魔女が視ている事に気づいていたのでしょう?

 っ、コイツ――――っ!!?

 けれど魔女は、更なる衝撃を呼ぶ、“イイモノ”を視せられて、絶句してしまいます。

 それは、人魚姫の背中を水晶玉の視点へ向けた男が、彼女の肌に顔を寄せながら、寝間着をするり、引き摺り下ろした時に現れました。

 白くとも健康的な肌に刻まれた、昨日今日だけでは済まない、小さな鬱血痕の数々。

 しかもこの痕は、脇腹や腰にも続いており、前面や下部にも同じ痕がついている事を匂わせていました。

 人魚姫が寝ている間に何をしていやがんだ、コイツは!?

 きっと、誰しもが思う事を目の前で実行している男に、魔女の激昂は届きません。

 お前もお前だ! い、幾ら寝ていると言っても、俺ではなくこんな野郎に、好き勝手弄ばれているんだぞ!? 少しは起きる気配を……ぉおうっ!!?

 勿論、人魚姫にも魔女の声は届きませんが、タイミング良く、彼女はとんでもない事をしでかしました。

 病的とは違う白い手を背中に這わせて支える、己の肌を貪る男を助けるかのように、その頭をゆっくりと抱き締めたのです。

 まるで男を包み込むかのように。

「毎回思うんだけど……寝て、いるんだよね?」

 どうやら、男にとってもこの反応は奇妙な事この上ないようです。

 男の呟きから一度や二度ではないと察せる状況下、先程まで崩れていた足が膝立ち、頭を抱いていた腕がそのまま男の後方へと流れていきます。

 笑い顔は変わらず、戸惑う気配だけを漂わせる男は、人魚姫の行動に何も出来ません。

 ともすれば泣いているようにも見える表情が、弄るのみだった肩に埋められました。

 抱き合う姿は、再び人魚姫の腕がだらりと垂れ下がる事によって解かれ、それと同時に男の起していた身をぱたりと倒します。

 次いで、自らが乱した彼女の服を直した男は、何事もなかった様子で男の胸に手を添え、安らかな寝息を立てる人魚姫を恐々抱き寄せました。

 そこにはもう、魔女をからかう余裕すら感じられませんでした。

 散々見せ付けられた魔女も、男に対する憎悪を忘れ、人魚姫の行動に愕然とします。

 陸ほど住み分けがきっちり為されていない海中は、常に警戒を怠ってはいけない場所。

 だというのに、人魚姫は海中での警戒心をほとんど失くして、男に身を委ねきっているのです。

 眠りながら男へ応える仕草をするほどに。

 とてもではありませんが、アウェイにいる姿とは思えませんでした。

 そんなに……そんなにも、この男がイイと言うのか?

 入り込む余地などないと、ぴったり寄り添う人魚姫へ、魔女は深い悲しみを投じました。

 しかし、いつまでも打ちひしがれてはいられません。

 窓の外が明るくなったのを見計らい、人魚姫を手放した男に併せ、彼女が緩慢な動きで身を起こし始めたのです。

 男の所業が全ての原因とは言いませんが、薄い寝間着が纏わりついた人魚姫の肢体は、あどけなさを残しつつも、女の線を惜しみなく晒しており。

 非常にそそるモノがありました。

 っ、ぅぐっ、こ、これは……!!

 思わず、どうしようもない現象に襲われてしまう魔女。

 荒い息で自分を誤魔化していると、水晶玉から映像が消えてしまいました。

 どうやら魔女の思考の乱れが原因のようです。

 すぐさま、冷静に為るよう自身へ促した魔女でしたが、映像が復活したのは人魚姫の着替えが終わった後。

 白い寝間着から薄桃のドレスへと変貌していた姿には、若干の口惜しさを噛み締める魔女でしたが、思い直しては首を振りました。

 幾ら想い人だったとしても、その着替えを覗くのは御法度。

 こうして覗いていても、魔女の中にはそれはそれ、という考えがありました。

 他人から見れば、どっちも似たようなモンですが、無防備な姿を覗く事は魔女の美意識に反します。

 ……無防備な姿へ手を出す点については、自分に限り、広い心で許しておりました。

 ですから、たとえ反応してしまったとしても、人魚姫に対する自分ではない男の所業を、魔女は決して赦せませんでした。

 しかし、そんな魔女を嘲笑うかのように、事態は急展開を迎えていきます。

 

 つまりは今朝方、人魚姫が王子様に押し倒されたアレです。

 

 てっきり、本格的な行為はまだだと思っていた魔女は、突拍子もない王子様――男の行動に歯を軋ませます。

 ……軋ませつつ、食い入るようにして、人魚姫の動きを眺めます。

 なるべく辛くないように、やら、随分と免疫がない、とのたまう男の言には、あれだけ痕を付けやがったくせに、やら、そりゃてめぇが散々弄っていたからだろう、と舌打ち混じりに文句をつけながら。

 そうして徐々に、新たな殺意を芽生えさせていく魔女。

 ですが、魔女の殺意を明確にしたのは、文句とは全く関係ない事柄でした。

 くそっ! コイツまたしてもっ! 俺がまた視ていると知っていやがるな!?

 好いた女の情事紛いに、煽られた魔女が身を乗り出す度、人魚姫を良い様にする男が視界に入り込み、肝心の部分や場面を隠してくるのです。

 結果、焦らされるだけ焦らされた魔女は、溜まりまくったフラストレーションをコントロールし切れず。

 

 さあこれから、という時点でまたしても、ぷつり、水晶玉の映像を途切らせてしまったのでした。

 

 

 

 

 そんなこんなで、想いを自覚した途端、踏んだり蹴ったりの映像を視続ける羽目となった魔女は、今一度、涙跡を付けて眠る人魚姫へ意識を向けます。

 俺ならこんな風に泣かせやしない、という殊勝な心がけをしていれば、まだ格好もついたのでしょうが。

「ぐぅっ……あ、あの後、結局どうなりやがったんだ? 最後までイったのか? それともまだ、なのか? 確かめたいが……恐ろしくて確かめられん!」

 水晶玉越しの人魚姫を凝視しつつ、なんとも下世話な事を魔女は叫びます。

 安定させた魔力により、水晶玉の映像は回復しましたが、視られるようになったのは夜、男が部屋に戻ってくる直前で、その間の事は分かりません。

 だかといって、本当にお手付きになっていたとしても、魔女の欲望は懲りずに人魚姫へと向けられたまま。

 いえ、見せ付けられたがゆえに、今まで以上に燃えてしまっています。

 人魚姫を見つけ出すという目的を、男から人魚姫を奪う方向に変換してゆけば。

「……おい。見つけるのに一体何時間掛かっているんだ、魔女」

 魔女の首筋に、ひやりとした刃物が当てられました。

 痺れを切らした姉姫が、背後まで来ていることを知っていた魔女は、別段、驚くでもなくちらりと彼女を見ます。

 人魚姫の姉……使えるか。

 姉姫に見えない位置で、にやりと口の端を持ち上げた魔女は、真面目くさった顔で頷きました。

「ああ。視てみろ」

 半身をずらして水晶玉を指差すと、片眉を上げて応じた姉姫は刀を仕舞う事もせず、微塵の隙も感じさせない動きで覗き込みます。

「! おい、何故泣いている?」

 人魚姫の異変に気づいた姉姫がすぐさま問うのを耳に、内心で笑いながら、魔女は肩を竦めました。

 可哀相に、とでもいうように。

「言っただろ? アイツは人間の王子様とやらに会いに行った、と。だが、所詮は人間。アイツは捨てられちまったのさ。あんな痕を残されながら、そこの屋敷の娘と結婚するってよ」

「アト?…………っ!?」

 魔女の指摘を受け、初めて人魚姫の首筋や手に、赤みを帯びた小さな鬱血を認めた姉姫は、顔を青褪めさせました。

 ともすれば、卒倒しそうなくらいでしたが、姉姫の精神はそこまで脆くありません。

「殺してやる」

 でも、冷静というわけでもありませんでしたので、白刃を一度鞘に仕舞い込んでは、身を翻します。

 行き先は人魚姫のいる屋敷、目当ては王子様のその首でしょう。

「まあ待て、姉姫」

 このまま放っておいても良いのですが、魔女は静かに激昂する姉姫へ声を掛けました。

 我を失くした彼女が、王子様の首を取った事に満足し、人魚姫を忘れてしまう可能性があったからです。

 あんな男でも一応は人魚姫の庇護者。

 死んでしまったら、人魚姫の処遇は大変な事になるでしょう。

 身寄りのない娘、どう足掻いてもお荷物は必至。

 薬のせいで人魚姫がそうなった事に対しては、全く罪悪感を抱かない魔女ですが、思い出した姉姫が人魚姫を迎えに行く間で、彼女の身が売られでもしていたら面倒です。

 陸の悪党相手では、さしもの姉姫も人魚姫を追えません。

 身動きも満足に取れず、逃げたところで口も聞けない娘なぞ、悪党の慰み者には打ってつけでしょう。

 これを買い取るにしても、奪うにしても、魔女が陸へ上がるためには三日程時を要するので、人魚姫の身の安全は保障されません。

 魔女にとって、何が一番嫌かと言えば、人魚姫の味をこれ以上他の男が知ってしまう事でした。

 この先、彼女の全てを味わう男は自分だけ、彼女が刻むのも自分だけで良いのです。

 どこまでも自己中心的な野望に突き動かされる魔女へ、姉姫は刃のような視線だけを向けました。

 心臓の弱い相手なら、息の根を止められるほどの威圧感でしたが、魔女は意に介さず続けます。

「王子を殺すのはもう少し待て。先に、人魚姫を人魚に戻す必要がある」

「人魚姫を人魚に、戻す?」

 不可解だと眉を寄せ、こちらに向き直った姉姫へ、魔女は鷹揚に頷いてみせます。

「ああ。……んん?」

 けれど、冷たい光を携えながら動揺をみせる姉姫を知っては、微かに顔を顰めました。

 人魚姫が薬の副作用を知ってまで、人間になった経緯は話していたため、後は人魚に戻す説明をすれば良いと思っていたのですが。

「まさかお前……人魚姫が海に入れば、自動的に人魚に戻るとでも思って――いたのか」

「…………」

 あからさまな態度で目を逸らした姉姫を見、魔女は少々頭の痛い思いに駆られてしまいます。

 人魚姫より付き合いの長い姉姫は、決して頭が悪いわけではないのですが、突っ走る傾向がありました。

 一人で行ったが最後、人魚姫がついて来ると思い込んで、魔女のところすら来ないで帰る絵が容易に浮かび、引き留めて置いて正解だったと魔女は首を振ります。

「海に飛び込んだところで、人魚の泳法しか知らん人魚姫では、沈むのは想像に難くない。元よりアレは呪いの一種、そう簡単に解けはせん。そこで、だ」

 そう言うと、一振りの懐剣を取り出した魔女は、恭しく姉姫へこれを捧げました。

 金の柄と鞘にごちゃっと宝石を付けた懐剣へ、突っ走りかけた恥も混じって、あまり良い顔をしなかった姉姫ですが、受け取り様に抜いた刀身へは目を細めました。

「ほお……? コイツは随分と、面白い代物だな」

「だろう?」

「……で? コイツで王子を殺せば良いのか?」

 姉姫が目を不穏に輝かせ、刀身を鞘へ仕舞ったなら、それにも勝る輝きで魔女が艶やかに笑いました。

 背筋が凍るほど、歪な愉悦で。

「ああ。だが、王子を殺すのはお前の役目じゃねぇ。人魚姫さ」

「人魚姫が? いやしかし、アイツは王子とやらを――」

「だから、さ。人魚姫が人間の姿に執着する理由は王子だけ。ならば、それを断つ必要がある。他の誰でもない、アイツ自身の手で」

 ぐるりと緑の瞳が光を反射しました。

 迷いをみせる姉姫の心を汲み取っては、背を押すように囁きます。

「躊躇うのは分かる。しかし、考えてもみろよ。人魚姫は弄ばれるだけ弄ばれて捨てられたんだぞ? 今は悲しみで霞んでしまっているかもしれねぇが、王子に対してドス黒い思いを抱えていて当然。だってぇのに復讐の機会は今を逃しちゃ、相手は王子、後じゃ近づくことすら出来なくなるだろう?」

「だ、だが、人魚姫にそんな事が出来るとは」

「だ・か・ら、てめぇの出番なんだろ、姉姫。人魚姫を苦しませる王子が許せないなら、始末は本当に苦しんでいる奴に殺らせるべきだ。第一、俺は言ったはずだぜ? 今は、悲しみで霞んでいるってな。後でドス黒い思いが表出したんじゃ遅いんだよ。殺したい時に殺せない。それじゃあ、あんまりにも妹御が可哀相とは思わんかね?」

「私に……王子を殺すよう、人魚姫を説得しろと?」

「いやいや、そこまでは言ってねぇ。ただ……霞をほんの少し、払ってやればイイのさ。後は人魚姫次第」

「……人魚姫が万が一、王子を殺さなかったら?」

 未だ苦渋を示す姉姫の言葉に、けれど魔女は掛かったと内でほくそ笑みました。

 迷ってはいても、人魚姫が王子を殺さない選択を万が一と言うからには、姉姫の中では、殺す事が前提になっているのです。

 となれば、後はアフターケアを万全にしてやるだけです。

「殺さなかったら――その時はその時、お前が王子を殺せ。そしてその血を人魚姫に与えろ。王子の死を浴びれば、人魚姫は人魚に戻る」

 愛する者を失った絶望と共に。

 王子を手に掛けた姉姫を恨み、人魚である事を厭い、種を呪い。

 堕ちて堕ちて堕ちて……

 海底まで闇を求めたなら――アイツの隣には誰も居られはしまい。

 

 そこを住処とする俺以外は、誰も。

 

 


2009/10/13 かなぶん

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