!注意!
このお話には奇人街のキャラを起用していますが、仕上がりが程好く危険です。
それでも良いという方のみ、どうぞ。

 

 

人魚姫A面 5

 

 夜中、ふいに目が覚めた人魚姫は、ゆっくり身を起こしました。

 閉ざされた窓を背に、月明かりが滲む闇に慣れた瞳が、ぼんやりとあるモノを捉えます。

 黒い……裾?

 認めた途端、ぱたんと閉まる扉。

「…………?」

 目を数度瞬かせた人魚姫は、ベッドの上を移動すると、知らぬ間に寝入っていた際には点いていたはずの、灯の消えたサイドテーブルのランプを点灯させました。

 すると、暖色の灯りが暗かった部屋を仄かに照らし。

「!」

 な、何だろう、これ?

 寝ている間に何があったのか、部屋の上下四隅、計八箇所に、鍔のない小刀が深々と刺さっているのが見えました。

 人魚姫は驚きに胸元へ手を寄せますが、そこで妙な感触を受けます。

 小刀を警戒する動きで、胸元に視線を落とした人魚姫は、鳴らない喉をひゅっと鳴らしました。

 いつの間にやら、壁に突き刺さった小刀と同じデザインの、それより更に小さい、刃のない刀のペンダントが掛けられていたのです。

 まるで、お護りか何かのように。

 誰が――って、考える必要もないわね。

 ひんやりしたペンダントの刀身に指を滑らせた人魚姫は、声も掛けてくれなかった、黒い裾の持ち主に想いを馳せます。

 しばらく会えなくなる――その代わりに身に付けるよう言われた気がして、胸に苦しさを感じました。

 ずるい……私、泣いていたのに。結婚、するくせに。どうして?

 どうして、私の恋を諦めさせてくれないの?

 気に掛けて貰えている、それだけで、人魚姫の心は満ち足りた想いで一杯になってゆきます。

 けれど声にならない熱い吐息を零した人魚姫は、次の瞬間、小刀とは別のモノを見つけ、眼を剥きました。

 な、なななななななななっっ!!? ど、どうしてコレがココに!?

 次いで、誰が見ているとも知れないというのに、寝間着のボタンを外します。

 もどかしい手付きで前面を開けた人魚姫は、自分の身体をまじまじ見つめ、それから左手の甲、屋敷の娘に付けられ、王子様によって色を増した口付けの痕を確認。

 もう一度、視線を素肌に戻し。

 ええと? た、確か、寝る前は全部閉めていたはずよね、ボタン。

 でも、ペンダントを見つけた時は、二、三個開いていて……

 考えを纏めるため、ボタンは外したまま、先程と同じ位置で寝間着を合わせます。

 すると見えてくる全貌、身体のいたるところに付けられた、不思議な痕。

 消えかけていたり変色していたり、まで考慮したなら、それが昨日今日で始まったものとは思えず。

 しかもペンダントの周辺には、手の甲につけられたモノよりも、明らかに真新しい痕が残っていました。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 い、いつから!? ううん、どこまで!?

 こうなると、もう、王子様の結婚に泣いている余裕はありません。

 悪戯にしては質の悪い行為、下まできっちり確認し終えた人魚姫は――

 

 お、終わった……何もかも、全部…………

 

 真っ白に燃え尽きた頭に、チーンと時代背景にそぐわない幻聴が届いてきました。

 続いてぱたり、ベッドへ倒れたなら、悔し涙を浮べつつ、歯軋りしては寝間着のボタンをぷちぷち直します。

 もお、やだ! そりゃ、好きになったのは私ですけど、何だってこんな事ばっかり! せめて、せめて一言言ってくれたら!

 ――一も二もなく、身を捧げていた?

 ええ、勿論!……あ、れ? 何か今、物凄い問いに答えた様な?

「…………」

 自分の中から、泡のように浮かんだいたずらっ気のある問いかけに、人魚姫は即答しつつ首を傾けました。

 その分、枕へ頭を押し付ける形となり、ふわり、鼻腔を擽る寝具の香りに気づけば、頬をうっすら染めて身体を摺り寄せます。

 うつ伏せになって顔を半分埋めた人魚姫は、潤んだ瞳で下唇を小さく噛み。

 本当に、もう嫌。残り香にさえ安らいでしまうなんて……こんなにも好きだなんて。

 なのに私、苦しいって泣いてばかり。

 ……どうせなら、トドメを差して貰おう。

 がばっと腕を立てて起き上がった人魚姫は、急な動作で感じる眩暈にふらつきつつ、胸元のペンダント引き出し、握り締めました。

 そうよ。だってまだ、何も告げてはいないんだもの。

 抱き締めても王子様の反応は鈍いし、行動だけじゃ駄目なんだわ。

 もしかしたら王子様にとって、抱き締められるのは当たり前の事かもしれないじゃない?

 だからこんな痕を付けても、素知らぬ顔をしていられるのよ、きっと。

 半ば強引に、王子様の所業を理由付けた人魚姫は、握り締めていた拳を緩めると、小刀の柄の部分に小さく唇を寄せました。

 どんな方法でも良い……好きだと、王子様に伝えよう。

 声に出せないなら、紙に認めて。

 それが無理なら、身振り手振りで。

 あなたが好き――そう、伝えられたなら。

 死んだって構わない……なんて、軽々しく思ったりはしないけど。

 結果も、良い方が断然、嬉しいに決まっているけれど。

 少なくとも、こんな風に泣いて過ごすより、私らしくいられるもの。

 ペンダントを再び胸元に戻した人魚姫は、決まった腹に心の中で「よしっ」と活を入れました。

 とはいえ、現在の時刻は夜明けに程遠く、行動を起す事は出来ません。

 全ては明日からだと点けた灯りを消し、人魚姫は寝具に包まって目を閉じました。

 

 ――が。

 

 ……? 何だろう、この音。

 時を置かず暗闇の中で響く、コツ、コツ、という音に、むくりと身を起こします。

 灯りを消した事で、カーテンの隙間から滲む蒼白い月光が、薄暗い影を映す室内。

 黒い輪郭だけをぐるりと追った人魚姫は、こげ茶の瞳を一点に留めました。

 唯一の光源である、その窓に。

 ……でも、下は海よね? それに、こんな時間に、なんて……泥棒ぐらいしか思いつかないけど、気づかれるような音を立てるわけがないし。

 不審な物音に、最初は怯えていた人魚姫ですが、段々と好奇心が沸き起こってきます。

 反面、安眠を妨害された腹立たしさも感じつつ。

「っ」

 ベッドから降りた人魚姫、変わらず足に響く激痛に精神を削がれながら、それでも壁を伝い歩き、カーテンにしがみつきました。

 途端、揺らいだ隙間から多くの光が室内に落ちますが、窓を叩く音には変化がみられません。

 痛みに歯を食いしばり、脂汗に喘ぐ人魚姫は、しばらく外の様子を伺う素振りで、瞳を静かに閉じました。

 数度、睫毛を震わせて後。

「っ!」

 強く掴んだせいで、引き千切ってしまいそうなカーテンをスライドさせるなり、思い切って窓に顔を近づけました。

 人魚姫の視界に広がる、窓の外、バルコニーの向こう側の景色。

 まんまるのお月様、光を反射して輝く黒い海、歪な岩の影、そして――

 目掛けてやってくる、つぶて。

 ひっ!?

 突然の強襲に、逃げるでもなく無意味に目を瞑って首をすぼめた人魚姫は、コツ、と鳴った音を間近で聞き、ゆっくり目を開けました。

 そうだった。窓を閉めているのだし、届くはずはない、よね?

 心の中だけの確認。

 応えるかのように、またもつぶてが窓を小さく叩いてゆきました。

 ただし、先程より大きな音で。

 ……下は海、よね?…………なんだかこの感じ、ちょっぴり懐かしい気がする。

 焦れてきた雰囲気の音に、人魚姫の脳裏がある人物の顔を浮かべました。

 もし彼女だとしたら、程なくこの窓は割られてしまうでしょう。

 あの、気の短い姉姫が、つぶての主ならば。

 タンッと些か強い調子で叩き始めた音を聞き、次が来る前に人魚姫は窓の外へ飛び出しました。

 眩む足の痛みも十分に味わう事なく、柵にすがり付いては身を乗り出して。

「――――!」

 お姉様、私はここです、ここにいます!

 勢い良く下を見やった人魚姫は、想像通りの人物が、今当につぶてを投げようとしている場面を目撃。

 大きく手を振って、止めるよう促せば、久方ぶりに顔を合わせる姉姫は言いました。

「遅い!」

 と同時に、投げられたつぶては容赦の一欠けらさえなく。

 うきゃっ!

 それでも何とか避けきった人魚姫は、視界の端で、褐色のクセ毛が二、三本、宙に飛んでいくのを目の当たりにします。

 これが目標通り、眉間を直撃していたらどうなっていたことか。

 ぞっとする背筋に冷や汗一つ。

 当たらなかった事に舌打ちをする姉姫を内心で恐れながら、表面には愛想笑いを浮かべます。

「――――、っ!」

 次いで、いつもの通り挨拶をしようと言葉を紡ぎますが、出ない音に喋れない事を思い出しました。

 ど、どうしよう。挨拶を疎かにしたら、お姉様の逆鱗に触れてしまうわ!

 人魚姫の頭の中で鮮やかに再生される、過ぎし日の姉姫の怒号と制裁。

 もしも帯刀している得物を使われでもしたら。

 つぶてで窓を叩くしかない高さにいても、直接斬り殺される自分の姿が、容易く描かれてしまいました。

 しかし姉姫は、そんな人魚姫の焦りを嘲笑うかのように鼻を鳴らし。

「ふん。思ったより元気そうだな。……受け取れ!」

 わ、わわっ!?

 命ぜられれば、足の痛みにかまけていられず、人魚姫は投げられた物を受け取りました。

 ずっしり重い、ゴテゴテした飾りの多い懐剣を。

 ……今日は随分、刃物に縁のある日だわ。……なんて日なのかしら。

 しかも、単なる装飾品だと思ったこの懐剣、素人目でも分かるほど、殺傷能力の高い刀身が鞘に仕舞われています。

 ぞんざいに投げても、一定方向で引き抜かなければ現れない鈍い光は、試しに引き抜いてみた人魚姫の気持ちを重くさせました。

 こんな物を投げて寄越した姉姫の気が知れない人魚姫は、懐剣を抱えたまま、姉姫に向かって大きく首を傾けました。

 挨拶に関して何も言われなかった事と、彼女の嗜好に合わない懐剣のデザインから、魔女の介入を推測しつつ。

「受け取った、か。人魚姫……それがあれば、お前はこちらに戻って来られる」

「!」

 思わぬ告白を受け、人魚姫の身体に衝撃が走りました。

 人魚に戻れる――そんな考えは欠片でさえ、今まで浮かんで来なかったのです。

 それがここに来て知らされた事に、人魚姫は知らず知らず震えました。

 全容が、薄っすら見えてきたがために。

 魔女がどこまで姉姫に語ったかは知れませんが、確実に、人魚姫の失恋は伝わっているのでしょう。

 でなければ、元に戻る術など、わざわざ姉姫が持ってくるわけがありません。

 自分の正義と外れた行いは許さない姉姫ですが、妹が掴んだ幸せを勝手に壊そうとする人ではないのですから。

 魔女、様……私を監視、して…………?

 ぞわりと粟立つ肌、息苦しさに不快を訴える胃の腑。

 真実はどうあれ、魔女が一部始終を、特に、自分が泣いている場面を見ていた事は間違いなく。

「っ」

 にやりと細められる緑の双眸が過ぎれば、人魚姫の膝が折れ。

「――――!!?」

 バランスを取るべく自然に身体が動けば、足から頭にかけて貫く激痛に襲われ、涙が溢れました。

 姉姫から投げ渡されたがゆえに、捨てられぬ、厭わしい懐剣に爪が立てられます。

 酷い……怖い、人…………そんなに、そんなにも私をいたぶるのが、楽しいのですか?

 魔女本人が聞けば、心外だと目を剥きそうな事を思う人魚姫は、一時でも彼を良い人だと思った自分の浅はかさを呪いました。

 怯えても止めてと訴えても、面白いと嘲笑う魔女しか知らない人魚姫です。

 自分を苛めて愉しむ輩を好意的に見ろと言われても、出来るわけがありません。

 蔑ろにされた心で見つめる魔女の姿は、人魚姫にとって、恐怖以外の何者でもなく。

 そんな人魚姫をどう思ったのか、姉姫が言いました。

「人魚姫。それで王子とやらを刺せ、殺せ」

「っ!」

「お前を捨てた男だろう? お前を泣かせた男だろう? 想いを断ち切れ。想いごと、王子の息の根を絶て。そうすれば、お前は人魚に戻れる――」

 いやっ!

 姉姫の気遣う声音に、魔女の愉悦に満ちた音色が重なって聞こえてきます。

 姉姫の言葉はそのまま、魔女に通じているように感じられました。

 事実、王子様を殺すくだりは、正真正銘、魔女の望みではありましたが、現実の魔女が人魚姫を望んでいるのに対し、人魚姫の中の魔女は、人魚姫が苦しむ姿を望んでいます。

 その恐ろしさ、おぞましさから、身を翻した人魚姫は、歩を進めるごとに突き刺さる足の痛みを引き摺りながら、開け放ったままの窓へ手を伸ばしました。

「……人魚姫」

 最中、静かに名が呼ばれ、人魚姫の足が止まりました。

 魔女の恐怖をすり抜け、耳朶に届いたそれは、誰にも重ならない、優しく案じる声音で告げます。

「酷な事を言ったとは思う。だが、憶えていて欲しい。お前の帰る場所は、ここにも在るという事を」

 …………。

 続いて水を打つ音が聞こえても、人魚姫は振り返らず。

 ただ、歩みはゆっくりと、痛みを自身へ刻むように進められ。

「っ」

 窓とカーテンを閉めた人魚姫は、懐剣を抱えたまま、もつれる足取りでベッドに倒れ込みました。

 痛覚が麻痺してしまいそうなほど、連続で受け続けてきた激痛に、荒い息が上がり、脂汗が髪をべったり、頬に張り付けてきます。

 目を閉じても滲む視界は熱く、全身が鉛のような重さを訴えていました。

 いっそ足を切り落とした方が楽になるのでは?

 短絡的にそう思い。

 ……そう、だ。この剣……隠さなきゃ。

 鋭利な輝きが頭に過ぎれば、自身へこれを用いる想像はせず、人魚姫はベッドの上を這いずりました。

 姉姫は海へと潜ってしまったのだから、外に捨てても良いはずですが、気力・体力ともに再び歩けるほど残ってはいません。

 なので人魚姫は、ベッドの足下まで辿り着くと、懐剣をそこに押し込みました。

 誰にも気づかれぬよう、祈りながら。

 ……?

 途中、妙な引っ掛かりを人魚姫は感じました。

 隠し終えては、しばらくの間、それについて考える風体で、身体を仰向けにします。

 けれど引っ掛かりの正体に行き当たる手前で、姉姫の声が思い出されたなら、片腕で両目を覆い隠しました。

 もう一方の手で、敷布を握り締めつつ。

 私の帰る場所はまだ、在る……

 何も言わず、人間になったくせに、王子様に受け入れられそうもない自分。

 それでも人間のまま生きてゆくしかないと、思っていたのに。

 人魚に戻るため、提示された方法は陰惨なれど。

 姉姫のその言葉は、人魚姫の胸を熱くさせました。

 もし、人魚姫の帰る場所は海しかない、海だけだ、と告げられたなら、きっと彼女は反発していたでしょう。

 人間の王子様へ向けた想いを、この数日間の自分を、全くの無駄だと片付けられてしまったならば。

 恋をして初めて感じた、喜び、安らぎ、不安や哀しみ、苦しみでさえも、人魚姫にとっては掛け替えのない宝物。

 これを真っ向から否定されては、人魚姫に戻るべき場所など望めません。

 だけどお姉様は、ここにも在ると仰って下さった。無碍に、されなかった……

 王子様への想いを認めてくれたのは嬉しい、反面、苦い気持ちを人魚姫は抱きます。

 認めながらも、人魚姫に手を掛けさせようとする言は、姉姫にとって不本意に違いありません。

 姉姫の性格からいって、自分の手で王子様を殺めたいと思うはずです。

 良し悪しはどうあれ、人魚姫は姉姫の葛藤を知り、そうまで思われる自分の行く末を考えます。

 告白出来れば、それで良いと思っていた心。

 受け入れられなくとも、人間として生きていこうと描いていた、漠然とした未来。

 そこに灯される、暗闇から生じた新たな選択肢。

 

 王子様をこの手で殺し、人魚に戻って海に帰る――という。

 

 恋に身を焦がしている時ならば、何を馬鹿な事を、と振り払った選択肢でしょうが。

 自身を案じる者の声を耳にして、惑わぬ心はありませんでした。

 私は……どうしたら良いの? どう、したいの?

 幾度となく問い掛けても、内から生じる答えは一つもなく。

 思い悩む意識は、眠りの中へと埋没し、やがて小さな寝息が部屋に響きます。

 しかしその顔に安らぎは在りません。

 

 ただ、苦悶だけが浮かんでおり――

 

 


2009/10/16 かなぶん

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