!注意!
このお話には奇人街のキャラを起用していますが、仕上がりが程好く危険です。
それでも良いという方のみ、どうぞ。

 

 

人魚姫A面 6

 

 そんなこんなで、とうとう迎えた結婚式――の前日。

 

 起床後、着替えと食事を済ませた人魚姫は、給仕の女の手で椅子に座らされるなり、額にぴたり、手を当てられました。

「うーん……熱はもう下がったみたいだけど、無理は禁物。今日の外出は厳禁さね」

 えっ、そんな……

 思わず給仕の袖を掴みますが、やんわり引き剥がした彼女は、空色の目をこげ茶の瞳に合わせて言い聞かせます。

「文句は却下。お召しでなくとも、アンタは王子様のお気に入りなんだから。何かあったら、こっちがいい迷惑」

 ううぅ……

 しかめっ面で断言されると、どうにも弱い人魚姫。

 不自由する足、発せられない声とくれば、迷惑という単語に過敏に反応してしまうものです。

 けれど給仕は一転、表情を和らげては、人魚姫の頭を軽く撫でました。

「だからって、アンタの世話をするのは嫌いじゃないのよ? 聞き分けは良いし、無駄な動きはしないし、かといって全てをアタシらに頼るわけでもなし。正直、楽なくらいさ。時々、お客として、どっかの令嬢の世話しなきゃならないんだけど……酷いモンよ、アレは。テーブルに置いてあるクッキー取るにしても、指でちょいちょいと合図するだけ。下賤の者とは口も聞きたくないとさ。それ以前に、てめぇで取りやがれって思うわよ、それにね――」

 ええと……つ、続くの? じ、時間がないのに……?

 頭上からは給仕の手が離れたものの、依然として喋り倒す姿勢に、人魚姫は耳を傾けつつ内心で溜息をつきました。

 

 魔女の懐剣を受け取った日の朝、悩みに引き摺られる形で寝入ってしまった人魚姫は、見事に風邪を引いてしまいました。

 何も掛けずに眠った事が敗因だったようです。

 なので、告白のために手紙を認める事や、懐剣について悩む事も満足に出来ず、人魚姫は昨日の夜まで寝込んでいた次第です。

 お陰で持ち越された結論を、今日中に全て出さなくてはいけません。

 それゆえの時間のなさであり――

 

「――にしても、アンタも相当の変わりモンだねぇ?」

 唐突に話を変えてきた給仕は、人魚姫を見つめつつ、やれやれと首を振りました。

「?」

 元・人魚ですから、人間に変わりモン呼ばわりされても、当たり前だと思う人魚姫。

 不思議そうな顔で先を促したなら、苦笑を浮べて給仕は続けました。

「丈夫、だと思ってたんだよ、アタシゃ。あんだけ跡付けられてきたくせに、ピンピンしてるからさ」

「!」

 給仕が言わんとしている事を察し、人魚姫の顔が真っ赤に染まります。

 

 屋敷の娘から知らされたのでしょう、王子様の痕跡を理解していなかった人魚姫へ、この給仕は懇切丁寧に教えてくれました。

 すなわち、身体中に付けられていたあの跡は、初めて人魚姫の湯浴みを手伝った時から、既に存在していた、と。

 ちなみに、その初めての時とは王子様のベッドで目覚めた晩の事ですので、痕跡は目覚める前に付けられた、という話になります。

 給仕曰く、あの日、ずぶ濡れの人魚姫を抱えて帰って来た王子様は、湯を用意させると、手伝う声に断わりを入れて、二人きりの状態で湯浴みをしたそうです。

 タオルと着替えを持ってきた給仕は、薄い仕切りの向こうでイチャつく二人の影を見ては、ケッと毒づいたと言います。

 しかも、意識がないはずの人魚姫が、王子様の動きに合わせ、一々過敏に反応していたというではありませんか。

 声が出ていたら、さっさとその場を立ち去ったくらい濃厚な場面だった、と頬を染めて語る給仕に、しばらく眺めていたんですかっ!? とつっ込む余裕もない人魚姫は、肌をぶるりと震わせました。

 好き勝手にされていた怒りや恐ろしさからではなく、普段素っ気ない王子様の、身体だけとはいえ、自分を求める行為に甘い疼きを感じて。

 ――愚かだと、分かってながらも。

 

 兎にも角にも、今はしっかり跡の意味を理解している身です。

 見つめる空色の視線から逃れるべく俯けば、ふっと吐息が聞こえてきました。

「しかも今は王子様不在で、自由に羽を伸ばせる機会のはずだろ? 普通、風邪を引くなんて思わないじゃないか。……まあ、お役目から一時でも解放された反動で病を拾ってきた、ってぇなら分かるがね。けどアンタ、憶えているかい? 熱に浮かされている身だってぇのに、王子様が見舞いに来た時、身体に抱きついてなかなか離さなかったんだよ」

 王子様……見舞いに入らしてくださったんですね。

 臥せっていた時の記憶が曖昧な人魚姫は、王子様が見舞いに来てくれた一点のみに頬を緩ませ、憶えていないことに寂しさを感じます。

 この様子を見た給仕は、参ったとばかりに仰々しい溜息をつきました。

「変わりモン、というより、好きモノって言った方が正しいのかねぇ? まあ、随分高度な魔除けを施されるくらいだから、王子様の方もただの夜伽扱いってわけじゃないと思うが」

 魔除け……

 給仕が壁の四隅に刺さった小刀を見やれば、人魚姫は自身の胸元、服の下に隠れたペンダントを握り締めます。

 懐剣より先に与えられたこれらの品は、人間の中にもいるという魔女が作った代物で、対魔女用の護符だそうです。

 魔女が対魔女の道具を作る、というのも不思議な話ですが、餅は餅屋、魔除けの効果は絶大、とのこと。

 なんでも王子様、王子様なだけあって、色々なところから様々なアプローチで暗殺されかけてきた過去があり、その一環として魔女対策もお手の物らしく。

 とはいえ。

 魔女様の事は一言も言っていなかったのに……

 失恋に泣く人魚姫を監視していたであろう魔女。

 傍にいない間、守るように与えられた王子様の護符。

 決して無関係とは言い難い双方の作用に、人魚姫は小さく息をつきました。

 

 

 

 

 

 しばらく会えなくなる――そう王子様は言っていましたが、人魚姫は違いました。

 結婚式が終わればもう会えなくなる。ううん、正確には……会いたく、ない。

 将来どう転ぶかなど分かりませんが、一般的に結婚=幸せの縮図です。

 そんなムードの二人を見せ付けられて、会いたいとは思えません。

 他の誰かと幸せそうにしている王子様を見るのは嫌、という気持ちも勿論ありますが、自分の存在が二人に暗雲を生まないとも限らないのです。

 密やかに付けられてきた王子様の痕跡から、夜伽とはどういう事か、おぼろげに理解しつつある人魚姫は、もし自分が屋敷の娘の立場だったら、と考えます。

 早々に出た結論は、夜伽の相手共々、王子様を憎く思う、という事でした。

 今の立場でさえ、そう思う事は想像に難くなく。

 はっきり言って、これは頂けません。

 人魚姫は、王子様には幸せになって貰いたいのです。

 いえ、だからこそ、人間になったと言えるでしょう。

 副作用があっても構わない、ただ、王子様の傍に、あなたを想う相手はいるのだと知って貰うために。

 独りでは、ないのだと。

 全ては、船に見捨てられた王子様を砂浜に引き上げ、去ろうとしたその時に――。

 ……でも、この手紙を渡したら、王子様の幸せに水を差してしまうのではないかしら?

 いきなり意識を現実に引き戻した人魚姫は、給仕が去って後、早速書き上げた手紙を肘の下に、頭を抱えて項垂れてしまいました。

 ノリノリで書いていった割に、絶対読み返したくない手紙は、王子様への想いに満ち溢れていました。

 ある意味、結婚を控えた二人を、不幸のどん底に突き落とすくらい、破壊力のある手紙です。

 やっぱり、諦めるべきなの……?

 今更、想い返されたいなどと望みはしませんが、伝えたいとは思っていました。

 自分の想いを、行動よりも分かりやすい言葉で伝えたい、と。

 しかし、手紙を認めてしまった今、人魚姫の中に生じたのは迷いでした。

 ――王子様に、この手紙を渡すか否か。

 手紙という媒体に想いを吐露したせいで、幾分冷静になった頭は考えます。

 この手紙、引いては私の存在自体が、王子様の幸せには邪魔、なのかもしれない……。

 導き出されては欲しくなかった結論ですが、人魚姫に否定できる要素はありませんでした。

 いえ、もしかすると、否定したくなかったのかもしれません。

 そう思う事で、王子様と過ごした日々を、良い思い出として終わらせようと、人魚姫は思い。

 ……うん、止めておこう。

 悩んでいた事が嘘のように、人魚姫はあっさり、手紙を屑籠の中へ捨ててしまいました。

 だってもう、王子様の隣には一緒にいてくれる人がいるんだもの。だから――

 乗じて、王子様の幸せを願うならと、ある計画を立てます。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜。

 起きている者が、守衛を除くと、ぐっと少なくなる時間帯。

 屋敷の廊下を、一つの怪しい影がのろのろ歩いて行きます。

 敷布のような白い布を頭からすっぽり被り、隙間から薄桃の裾を覗かせる影は、足が悪いらしく、伝う壁へ時折己の身を預けては、荒い息を夜気の中に混じらせます。

 浮かぶ脂汗に顎を拭う手。

 白い布の中へ戻る手は、抱えていた懐剣をぎゅっと握り締めました。

 次いでもう一度、歩みを進めるわけですが。

 ……どうしよう。

 白い布を被った怪しい影――人魚姫は、視線を忙しなく動かしていきます。

 日中、歩行練習をしていたので、屋敷内の構造はそこそこ知っていました。

 月明かりだけが頼りの視界とて、海の光景に慣れている人魚姫の苦には為り得ません。

 では何故、覚束ない足取りで、不安げに辺りを見渡しているのかといえば。

 これって完璧、迷子、よね……?

 自分で導き出した答えなれど、人魚姫の顔を真っ青にさせるには、十分な効果を持っていました。

 よくよく考えてみれば、確かに構造は知っているものの、王子様の言いつけか、はたまた給仕の善意か、人魚姫の練習範囲は限られた空間だけだったのです。

 そこそこ、とはよく言ったものです。

 兎にも角にも、今現在、人魚姫が歩いている場所は、練習時には一度も足を踏み入れたことのない廊下。

 しかも階段なんかも登ってしまったので、更に訳が分からなくなっていました。

 海では方向音痴でも何でもない人魚姫。

 けれど陸地、それも難を抱えたままの足では、全部が一杯一杯です。

 だからと立ち止まっているわけにもいきません。

 明日の朝では遅いのです。

 この闇夜に紛れて、人魚姫にはやらなくてはならないことがありました。

 ――懐剣を握っている=王子様を刺し殺しに行く、という話ではなく。

 先の事は為るようにしか為らないと、半ば自棄気味に考える人魚姫の頭には、ただただ、王子様への想いがありました。

 幸せを願う、そのための計画が。

 こんな事なら練習、もっと頑張っていれば良かった……ううん。せめて、出口までの道筋を知っておけば良かったのよ。

 王子様の結婚に、一番邪魔になりそうな自分の排除。

 それが人魚姫の下した結論であり、計画でもあります。

 弱肉強食の大海原を郷とする人魚姫ですから、この計画がどれだけ無謀な事か、よく分かっていました。

 屋敷で文字の練習がてら読んでいた書物にも、寄る辺なく暮らしていくのは、危険極まりないと書かれていたくらいです。

 しかし、それでも人魚姫は歩みを止めません。

 全ては王子様のため――ではなく、半分は自分のために。

 初恋は王子様、だけど人生は自分のモノ。

 最後の最後で、王子様のせいなどと、無責任に後悔しくさるよりも、ここはすぱっと縁を切った方が身のためです。

 王子様だけが男ではないのですから、その内素敵な誰かさんと出会えるチャンスだって、あるかもしれません。

 何だったら、恋すら一生しなくても良い気概でした。

 ですが、やっぱり半分は王子様のためでもありましたので、迷子になりがてら、人魚姫は嘆息しました。

 勝手に出て行って、王子様、怒るかな? それとも元・人魚だから、せいせいしたと思うのかしら?

 何かしらの感情を期待する反面、気にしないで欲しいとも思う人魚姫。

 自分でも我が侭だと感じていましたが、どうせ去る身です。

 これが最後なら、少しくらい引っ掻き回してやりたい気分だったのです。

 とはいえ、こののままではお笑い草も良いところ。

 足の痛みに耐えかねてならまだしも、迷子になっての挫折は、人魚姫の心まで折り砕いてしまいそうでした。

 う、ううう……これで出口と真逆に行っていたら恥ずかしい。

 継続する歩行の激痛に、ふらふらしながらそんな事を人魚姫は思い。

 そういえば私……階段、登っちゃっていたわね…………

 ふと過ぎる、自身の行動の可笑しな点。

 人魚姫が過ごしていた王子様の部屋は、地下ではなく地上、それも二階にあったはずです。

 でなければ、バルコニーなど必要ありません。

 わっ、しまった! ど、どうして登って来ちゃったのかしら!?

 今更ながらに気づく、大失態。

 痛みで意識が朦朧としていたとはいえ、あり得ないくらい、間の抜けた話でした。

 一気にやる気を削がれてしまう人魚姫は、へなへなとその場に崩れ落ちてしまいました。

 い、今までの苦労は……水の泡? ふ、ふふ、ふふふふふ…………

 もう、笑うしかない状況です。

 立ち上がる気力も、なかなか元には戻ってくれません。

 泣き笑いの表情でクツクツ震える人魚姫でしたが、意外にもその頭は冷静に、自分の行動について考えていました。

 幾ら何でも、躊躇もなしに階段を登るのは変です。

 何か切っ掛けがあったはず。

 登らなければいけない切っ掛けが。

 下り階段に人の気配を感じたなら、上に登ろうとするのは当然かもしれません。

 でも、それなら登るより隠れた方が早いはず。

 そちらの方が歩数も少なくて済むのだから。

 ……では?

 ぴたり、人魚姫の表情が改まりました。

 体重を掛ける事で再び響く痛みに耐えながら、ゆっくり立ち上がります。

 息を一つ吐き、進もうとしていた方向に目を凝らしました。

 やがて見えてきたのは、薄く開けられた扉向こうの闇。

 そうだ。確か、階段の手前で見かけたんだ。

 黒い外套を纏った怪しい人影が、澱みない足取りで上に向かうのを。

 自身も十分怪しい格好をしていたため、余計奇異に映ったその影を、人魚姫は取り付かれたかのように追ってきたのです。

 階段という最大の難関を通過したせいで、その事実を一時忘れてしまった人魚姫でしたが、思い出しては向かっていきます。

 何かあったらいつでも振り回せるよう、忌むべき魔女の品なれど、護身に丁度良いと持ってきた懐剣を握り締めつつ。

 なるべく苦痛の息を堪えて、衣擦れの音も極力抑えて、問題の扉へと近づきます。

 辿り着いたなら、壁に身体を押し付け、呻きを噛み殺し、恐る恐る開けられた隙間から闇を覗き込み――

 

「!?」

 

 瞬間、人魚姫の目が見開かれました。

 

 


2009/10/17 かなぶん

目次 

Copyright(c) 2009-2017 kanabun All Rights Reserved.

inserted by FC2 system