!注意!
このお話には奇人街のキャラを起用していますが、仕上がりが程好く危険です。
それでも良いという方のみ、どうぞ。

 

 

人魚姫A面 8

 

 廊下から差し込む月明かりを背負う、その姿。

 纏う赤い衣に流れる青黒く艶やかな長い髪。

 鮮やかな緑の双眸でこちらを睨みつける美丈夫に、人魚姫はただただ怯えだけを示します。

 どうして魔女様が、ここに……?

 人魚姫を監視し、姉姫を介して王子様を殺すよう告げた、恐ろしい魔女。

 相対した恐ろしさから、震える手で王子様にしがみつけば、忌々しそうに魔女が舌打ちしました。

「聞こえなかったのか? ソイツから離れろと言っている」

 一層増す、険悪な雰囲気に、人魚姫は緩く首を振りました。

 ソイツ、とは誰を指す言葉なのか、理解する前に。

 そんな人魚姫を尻目に、彼女の肩へ手を置いた王子様が首を傾げました。

「んー? 何で?」

「そっ!……そんなモン、お前に関係ねぇだろうが!!」

 呑気な問いに、だんっと打ち鳴らされる床。

 ビクついた人魚姫ですが、ふっと疑問が浮かびました。

 あれ? そういえば、さっきから煩くしているはずなのに、誰も起きてこない?

 不思議がる人魚姫への答えは、王子様からもたらされます。

「関係ない、ねぇ? 大アリだとボクは思うんだけど。不自由な足の非力な少女相手に、簡単に昏倒した格好だけの暗殺者。普段なら気づいて当たり前なのに、こうして普通に喋っていても、ボクら以外誰も起きてこない静まり返った夜。ってことはさ? お前の仕業なんだろ、魔女」

 えっ……

 ぽかんとする人魚姫に、王子様は血の付いた懐剣を掲げました。

「こんなゴテゴテしたモノ、人魚姫は持っていなかったからね。大方、お前が渡したんだろう? わざわざ静かな空間を設けるくらいだから、目的はボクを殺す事。だけど彼女は屋敷を去ろうとした。それでお前は、元々暗殺者として送り込まれていたであろう彼を、傀儡としたんだ。自分の作った空間の中でも、自由に動けるように。でなけりゃ、人魚姫に彼は張っ倒せないでしょ?」

「……ほう?」

 感心するにしては、険のある顔つきで魔女は目を細めました。

 受け止めた王子様は相も変わらず、いえ、魔女と比較しては能天気過ぎるへらり顔で続けます。

「ほら、関係大アリじゃない? なんたって、ボクは命を狙われたんだからさ? 訊ねるのは至極当然だろ?」

 同意を得るように首を傾げた王子様に、魔女は表情を崩さず眉を上げました。

「なるほど? 確かに関係が全くナシってわけじゃねぇ。それは認めよう。……だが、ならば何故、てめぇは動けるんだ? お前の言う通り、俺はこの屋敷の連中に朝まで起きぬ呪いを掛けた。勿論それは、去ろうとしていた人魚姫も例外じゃねぇ。加えるなら、人魚姫の部屋での様子が見えなくなった理由は?」

「っ」

 いきなりじろりと視線を向けられた人魚姫は、魔女から逃れるように、王子様の胸に顔を押し付けました。

 ぎりっと歯軋りの音が聞こえたなら、尚更に。

 けれど、王子様から安心するよう肩をポンポン叩かれれば、ほっと安堵の息が出てきます。

 人魚姫の緊張が解れたのを見計らい、王子様は魔女へ向けて拳を突き出すと、そこから人魚姫のペンダントを垂らしました。

「簡単な話さ。ボクは王子で、命を狙われる事が多々あって、そしてそれは、人間の手によるモノとは限らないってだけ。だから、こういう護符を身に付けていても、ボクのモノである人魚姫に付けさせても、何も可笑しな話じゃない」

「な、っざけんな! 誰がお前の――」

「それと、部屋の内部が見えなくなったのは、結界を張ったから。やだねぇ、覗きなんて」

 話に激昂する魔女を余所に、ペンダントを人魚姫へかけた王子様は、嫌味ったらしい笑みを浮かべて訊ねます。

「で? どうしてお前はボクを殺そうとする? 何故、離れる必要があると、口喧しく叫ぶ? 正直、聞くに堪えないよ。お前のその声。ああ勿論、姿も目にしたくないよ? もっと言うなら存在自体、とっとと消えて欲しいくらい」

 王子様って……本当に人間以外に厳しいわ。

 悪意を余す事なく乗っけた音色に、元・人魚の人魚姫は少しだけ傷つきました。

 次いで、魔女がどんな答えを出すのかと興味をそそられ、ちらりとそちらを向いたなら。

 うっ……

 思わず、思いっきり顔を引き攣らせて、呻いてしまいました。

 何やらねっとりと絡みつく視線で、こちらを見つめている魔女がいたのですから。

 熱病に浮かされた、初めて見る陶酔の面持ちに、人魚姫は心の中で「ひぃぃぃっ」と大絶叫。

 最中、重々しく魔女が口を開きました。

「お前が、好きなんだ」

「!」

「誰にも渡したくない、俺だけのモノにしたいと、切に願っている。――愛している。気づくまで、だいぶ日を要してしまったが……。一生を添い遂げてくれないだろうか? お前にしてしまった、数々の蛮行を許せとは言わない。けれど、俺がお前を得たいと思う事を許して欲しい。そして出来れば、お前からも俺を求めて欲しい」

 ……魔女様。

 耳朶に染み入る艶やかな低音の告白。

 苦しい胸の内を吐き出すそれに、人魚姫は王子様から手を離すと、初めて魔女と真正面から向き合いました。

 切なげに揺れる魔女の視線と同調し、潤む瞳で人魚姫は思います。

 魔女様……そんなにもあなたは…………

 すっかり当てられた熱に頬を薄く染め上げながら。

 

 あなたは――王子様が好きだったのですね!?

 

 相手の名前がないだけで、かなりすっ飛ばした発想に踏み切った人魚姫。

 その頭に、自分が告白されているという想定は、一欠けらもありませんでした。

 ですが、無理もない話かもしれません。

 魔女が言うところの蛮行は、人魚姫を傷つけはしたものの、精々が幼稚な意地悪です。

 慢性的に続けば怖い人扱いの意地悪は、王子様の命を狙う本当の蛮行の前では霞んでしまいます。

 魔女が男だとは知っていますが、乱れまくった交遊関係も知っていましたので、彼の真実の愛がどんな形でも、逆に相手が同性だからこそ、人魚姫はすんなり受け入れてしまいました。

 二人称が、先程から王子様に使っている“お前”だった事も、拍車を掛けてしまったと言えるでしょう。

 そんなこんなで、ばっちり勘違いした人魚姫は、同じ人に恋心を抱いている魔女に、ちょっぴり感動しました。

 人魚姫を想う魔女の方も魔女の方で、悪くない彼女のリアクションに、もしかしたら、という甘い幻想を抱きます。

 双方、喜劇めいた意識の食い違いに気づかず、見つめ合うこと数秒。

「…………」

 蚊帳の外となった王子様は、無言で人魚姫の腕をがしっと掴みました。

 へ?――――うきゃあっ!?

 間を置かず、魔女へ向かって突き飛ばされる身体。

 強い力に負けて、よろける人魚姫を受け止めたのは、未だ王子様を意識外に置いた魔女でした。

 初恋に気づいてからというもの、会えないばかりか、王子様の所業を見せつけられるだけだった魔女にとって、待ちに待った実物大の生人魚姫です。

 渇望していた分だけ、次々溢れてくる涎に、喉が引っ切り無しに鳴ってしまいます。

 潤みまくった瞳の熱は、人魚姫の顔が至近で自分に向けられるのを、今か今かと待ちわびておりました。

 が、当の人魚姫はそれどころではありません。

 王子様の唐突な横暴。

 初めての事ではなくても、突き放されて嬉しい気分になれるはずもなく。

 王子様、何を――

「ああ……人魚姫。綺麗だ」

 は? 魔女様も何を言って………………………………………………………………………………ひやあああっ!!?

 うっとりした声音に、怪訝な顔つきで魔女を振り返ろうとした人魚姫。

 その前に、視界の端で揺れるモノを見たなら、注視数秒、隠すように抱えてはしゃがみ込みました。

 羞恥に震える裸の背に、魔女の手がしなやかな動きで触れてきます。

「人魚姫、何を恥ずかしがっている? もっとよく俺に見せてくれ。揉ませてくれるだけでも構わない。その膨らみに這えるなら、舌で味わってもイイ」

 段々、言っている事がグレードアップしているんですけど!?

 外れていた紐を放置したせいで、晒してしまった胸に、人魚姫は瞳に涙を携えて下唇を噛みました。

 全部が全部ではありませんが、とりあえず、この辱めは王子様のせいです。

 しつこい魔女の言葉に身を捩った人魚姫は、前方、へらへら笑っているであろう王子様を睨みつけるため、キッと顔を上げ。

 …………え?

 素早く目の端を通り抜けていく黒い風に惚けたなら、「ぐっ」というくぐもった魔女の声が頭上からもたらされました。

 驚いて身を捩った人魚姫ですが、何と判別する前に、自分の方へ倒れてくる魔女の姿を認め、慌ててそこから退いてゆきます。

 しかし、完全には間に合わず。

 ふぐっ…………………………ぃやっ!?

 衝撃の後、咳き込むこと数度で、自分の身体に倒れ込んできた魔女の顔と片手が、肌蹴てしまった胸に埋められているのを知りました。

 魔女に意識はないものの、どこか満足そうな笑みが恐ろしくもありました。

 なので、魔女の肩に手を置いた人魚姫は、離れるよう彼を押しますが、がっしりした身体はなかなか動いてくれません。

 と、そんな魔女の襟首に伸びる、黒いマニキュアの白い手。

 人魚姫に出来なかった魔女の移動を、指の数本を用い、横にずらすことで成功させた王子様は、続いて彼女へと手を差し伸べました。

 言いたい事は多々あれど、応じた人魚姫の手が重なれば、一気に彼女の身体を引き寄せて、王子様は至近でへらりと笑いかけてきます。

「協力ありがと。お陰で魔女を伸すことが出来たよ」

 きょ、協力って……強制的だったじゃないですか!

 悪びれもしない王子様の言に、魔女が倒れた理由を知った人魚姫ですが、憤慨する心は治まりません。

 人魚姫が目を三角にしても、王子様は怯まず、眉を寄せると指を付きつけてきます。

 ふにっとした感触を返す部分に。

「――――!!」

「君がそんなにも胸に自信があるとは知らなかったよ」

 へらり、笑う王子様から全速力で身を翻し、涙目になって服を直し始めた人魚姫は、ぎりぎり歯噛みをします。

 全部、全部っ、王子様が悪いのよっ! 頑張って結んだのに紐解いちゃうし、好き勝手に触るし! そ、そのせいで魔女様にまで見られて、顔まで埋められて!!

 怒りの矛先は王子様なのですが、人魚姫にとって、一番ショックだったのは魔女云々のくだりでした。

 好きだから許せる、という話ではありませんが、苦手な異性に見られたり触れられたりして、嬉しい胸などないのです。

 不機嫌を余す事なく、気配と動作で発する人魚姫。

 対し、王子様は気にする素振りを全く見せず、後ろで何やらごそごそやっていました。

 こうなると、気になってしまうのは人魚姫の方です。

 どうにかおざなりにでも紐が結べたなら、しゃがむ王子様を振り返り。

 ええと……? 何で魔女様、簀巻き状態?

「はい、お仕舞い」

 立ち上がった王子様が、足裏でごろりと転がした魔女は、纏う赤い衣がほとんど見えないくらい、縄で巻かれて拘束されていました。

 赤く腫れている顎から推測するに、しゃがむ人魚姫に合わせて屈んでいたところを、王子様が蹴り上げたようです。

 目覚める気配のない、硬く閉じられた瞼に、人魚姫は口ばかりではない王子様の容赦のなさを思い、ぶるりと身震い一つ。

 すると王子様、今度は昏倒したままの暗殺者の下に向かうと、縛りもせずに肩へ担ぎました。

 これから何が始まるのか、全く予想のつかない人魚姫がぱちぱち瞬けば、王子様は部屋の奥にあるカーテンを開き、窓を開けました。

 寒々とした海風に人魚姫のクセ毛が遊ぶ中、王子様がバルコニーに暗殺者を下ろしました。

 次いで戻ってきては、魔女の襟首を掴み、ずりずり引き摺ってゆきます。

 明らかに暗殺者とは違う扱い。

 擦れる熱に魔女が目覚めないはずはありません。

「――いっ、だあっ!? な、何だ!? 何故俺は」

 意識を取り戻してすぐ、自由の利かない身体を知り、魔女がパニック状態に陥ります。

 しかし王子様は人間以外にはとっても非情ですので。

「煩い」

「ぐっ!!?」

 面倒臭そうに吐き捨てた王子様、それと同じくらい投げやりな動作で、魔女の身体をバルコニーの柵まで投げつけました。

「!」

 恐ろしい魔女とはいえ、幾ら何でもこれは可哀相。

 魔女の想い人を王子様と勘違いしたままの人魚姫は、彼を擁護するため、王子様へと駆け寄ります。

 けれど、王子様はそんな人魚姫を顧みることなく、魔女の襟元を掴み上げると、その首に自分が身につけていたペンダントを掛けさせました。

「があっ!」

 対魔女の効果か、身を捩って苦しむ魔女へ、王子様がにたりと嗤いかけます。

「その護符は人魚姫のとちょっぴり違ってね、王族御用達って代物なんだ。お前のような魔女から身を守るのと同時に、王族の安否が分かるんだけど。王子を辞めるつもりのボクとしては邪魔な存在でね。誰かに譲るにしても、ボクと同じくらいの体温じゃないと、別の誰かの手に渡ったってバレて、即行でボクが指名手配受けちゃうんだよ。幸い、海の魔女であるお前は、ボクの体温とそう代わらないみたいだし?」

「ぐぅうううっ……」

 余程辛いのでしょうか、憎々しげに王子様を睨みつける魔女ですが、彼の言葉は耳に入っていない様子で、獣に似た呻きを上げるだけです。

 これに大満足の顔つきで頷いた王子様は、人魚姫が止血のために巻いた服を、腕から剥ぎ取りました。

 深い刀傷だったにも関わらず、すぐに治るという宣言通り、黒衣の裂け目からは王子様の病的ではない白い肌だけが覗きます。

 それでも傷を負った形跡は、服に付着した多量の血痕として残っていました。

「おまけでこれを付けとけば、ベッドの血も信憑性が増すだろうからねぇ」

 王子様は片手で器用に服を広げると、苦悶にもがく魔女へ羽織らせました。

 次いで、魔女の身体を柵の上まで持ち上げると、首を傾がせてへらりと笑いかけます。

「んじゃ、魔女。ボクの計画のために身体張って、頑張って? 死んでも良いけど、死骸はペンダントの傍に残さないで――」

 王子様、駄目で――――きゃあっ!?

 あともう少しで王子様を止められるはずだった人魚姫。

 ですがその途中、投げ出された暗殺者の足をぐにっと踏んでしまい。

「ねっとぉ!?」

 バランスを崩した人魚姫が手をついたのは、何の因果か王子様の背。

 予想だにしなかった襲撃を受け、咄嗟に柵へ手を置いた王子様は、何とか転落せずに済みました。

 が、魔女の方はと言えば。

 ……あ。

「おや?」

 

 グオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォ――――――…………

 

 人魚姫が王子様に手をついた反動で、元々そんなに強く握っていなかった事もあり、簀巻きの魔女は海へと落ちていってしまいました。

 

 


2009/10/29 かなぶん

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