出会いの夜 10

 

 顔立ちはどちらかといえば、西洋人寄りだろうか。

 黄金と見紛う金髪は短く、鋭い眼差しは深みのある青。

 ラフな衣服を纏う体躯は程好く引き締まっており、背は里璃の頭が肩に届くか届かないかというくらい高い。

 全体的に雄々しい雰囲気、しかし、動きはどこまでもしなやか。

 

 何故だろう。

 

 容姿は見知らぬ男なのに。

 里璃は一目で、彼を「夜」だと認識した。

 これも自分が従者だからなのか?

 不思議に思い、首を傾げたなら、里璃の様子に気づいた「夜」がくすりと笑った。

 目が真ん丸くなってしまうのは、白い仮面を見続けていたせい。

 そっか、仮面じゃないから、はっきりと表情が分かるんだ。

 物珍しいと惚けた。

 間に、「夜」はぴしりと固まった恵の前まで来ると、そっとその頬に手を翳した。

「どうした? 俺の顔がそんなに珍しいか?」

…………俺?

 姿形にはぴったりだが、相手が「夜」だと知っている里璃は違和感を抱いた。

 と同時に、声は変わらないと気づく。

 白い仮面時の「夜」と現在の姿は、似ても似つかないのに、まるで最初からそういう口調だったと言わんばかりに、しっくりくる声音。

「あ……いえ、その…………」

 対し、恵の反応は、これまた里璃が初めて見るしおらしさ。

 ぱくぱくと酸欠の金魚よろしく、焦る姿が可愛らしく――

 珍妙にも淫靡に映った。

 普段のガサツさを知っている里璃は、壊れ物を扱うような手の内で、髪を触ったり、恥らったりする友人に掛ける言葉が見当らず。

 仕舞いには、これは本当に私の知っている恵なのか、と疑った。

 そんな里璃を余所に、「夜」は片眉を上げて、意地悪く笑う。

「ん? 何だ? 言いたいことがあるなら、遠慮せず言ってくれ」

「っ、で、でも……は、初めて会った人に、そんな……言えない、よね?」

 ここに来て、同意を求めるように恵が里璃を見た。

 しかし、何の同意を得たいのか分からない里璃は、小首を傾げるだけに留めた。

 次いで曖昧に微笑み、手の平で「夜」を示す。

「えっとね、恵。さっきの質問だけど、この方が恵に用があるって――」

「ああ。俺が呼んだんだ、君を」

 恵を見つめる「夜」の声が被されば、彼女の視線はさっさと彼に戻った。

 捨て置かれた感満載の里璃は、取り繕った微笑をどうしたものか迷い。

「知らない者同士だからこそ、君のことを教えてくれ」

「あ…………」

 目の前で繰り広げられる、形容しがたい空気に、里璃は瞳だけを他方に向けた。

 ……恵って、こういう押しに弱いんだったっけ?

 在りし日の恵を思い出せば、かなり強引だった何番目かの元カレを、本性丸出しのえげつない言動でフった姿が出てきた。

 偶然その場に居合わせた里璃は、後に待つ男女差の危険を察知、頼んでもいないのに買い物に付いてきた兄を、「行けっ!」という掛け声一つで向かわせたものである。

 アレでもそこそこ使える兄は、予想通り手を上げた男をのし、礼を言った恵をぱしりと平手に処した。

 ぎょっとする里璃を余所に、何事か恵に喋った兄。

 元カレをどこぞへ連れて行く背を見送りつつ、恵へ近づけば、真っ青な顔があり……

 と、段々、元の思考から離れていくことに気づいた里璃、視線を元に戻せば、あの平手の時以上に目が開かれてしまう。

 目を逸らしたこの短時間で、何がどうなったらそうなるものか。

 

 熱い抱擁と口付けを交し合う二人がそこにいた。

 

 一歩退くことも出来ず、開いた口が塞がらない状態の里璃。

 夢中で首に腕を回す恵を慈しむように見つめる「夜」は、そんな里理に気づいたらしく、目だけで笑ってみせた。

 酷く、挑発的な態度である。

 まるで、お前の彼女貰うぞ、と言わんばかりに。

 ……いや、彼女違うし。

 そんな思いと混乱を織り交ぜ、数度、瞬きをしたなら、恵へと戻った「夜」がやんわりと身体を離した。

 まだ足りないと物欲しげな表情を浮かべる恵。

 完全に忘れられたていの里理は、出来れば一生見たくなかった、余所でやってくれと声を大にして言いたい、友人の熟れた姿に掛ける言葉もなく。

 代わりとばかりに、「夜」は言う。

「場所を移そうか。君をもっと知りたい……奥底まで」

 擽る動きで、頬を撫でる指先。

 潤んだ瞳の恵は、力なくこくんと頷いた。

 と、唐突に里理の脳裏を過ぎる、大叔母の手紙、最後の一文。

 恥ずかしながら、私は「夜」を知っている――

 恥ずかしいとは一体何の事か。

 今頃になってようやく察しがついた。

 知りたいと恵に向かって言う、見ているこっちが恥ずかくなるような、「夜」のその行動から。

 つまりは大叔母も恵のように「夜」と――。

 

 

「…………あ、あれ?」

 

 くらりと眩暈を感じた里理は、踏み止まった足の元、取り戻した意識で二人の姿がないことに気づいた。

 目の前にいたはずなのに、動きを捉えきれなかったことが、ショックの大きさを客観的に里理へと伝える。

 慌てて見渡せども、白いエントランス・ホールと闇色の絵画があるだけ。

 ぽつねんとする里理。

 次の行動を考えあぐね、眩む目を閉じ、揺れる頭を押さえた。

 ちょっと待って。

 一度、状況を整理しようじゃないか。

 

 大叔母のいかがわしい借金契約のせいで、一族全員が碌でもない目に合うところだった。

 そこへ、「夜」が現れて、里理が従者になることを条件に、契約をなかったことにする話が持ち上がる。

 本人未承認の仮契約ながら、従者という立場上、里理は召還されて「夜」の下へ。

 なんやかんやあって、結局里理は従者となり、一族はちゃんと助かった。

 わーい、めでたしめでたし――

 で、終わるはずがない。

 従者となったからには、里理にも仕事があり、「夜」は最初の仕事として、里理の知人を紹介しろという。

 条件は、女。

 それだけ。

 

「……そういや、大叔母さん、女ってバレるなって…………それに、トヒテも皆、似たようなことを」

 思い出した言葉たちに、里理の手が自然、自分の胸を押さえた。

 見た目だけはぺったんこの胸から、慣れ親しんだ弾力が伝わってきた。

 浮べたのは、そんな身体を持つ里理を抱き締めたくせに、性別を無視した「夜」の言。

 私は男に興味がない――

 それは、裏を返せば、女には興味があるという話で。

 ある結論が、里理の背筋に大量の汗を流させる。

 あれ? もしかして、私……

 

 

 トモダチ――売ッチャッタ?

 

 

『それは流石に御言葉が過ぎるかと存じます』

「っ!?」

 到達した考えに響く、無機質無表情な声音。

 悲鳴を潰して飛び退いた里理は、いつの間にやら背後にいた、フローライトの瞳を持つトヒテを見た。

「と、トヒテ! こ、声に出てた?」

 主語もなしに問えば、トヒテは軽く首を傾げる。

『いえ。御声には出されていませんでした。けれど御顔を拝見すれば、僭越ながら多少は推察出来ます』

「そ、そうなんだ……」

 ちょっぴり気まずい思いを抱く里理。

 と。

『はい。ですから里璃様、幾ら御前が■■■■の○○○○で、△△△△△△と□□□□する、●●な×××だったとしても、その様に思われてはいけません』

 考えても見なかったトヒテの言葉の羅列に、ただただ里理は呆気に取られた。

「……いや、そんなこと思ってないし」

『あら……これはこれは、失礼致しまして』

 トヒテの無表情から滲み出る、呆れともつかない思いを汲んだ里理は、頭を下げる彼女を言及するつもりもなく、別の話題を振る。

「ねえトヒテ……もしかして「夜」に知られちゃいけないって、そういうこと?」

 含みを込めて問うと、顔を上げたトヒテは小さく頷いた。

『はい。御前は……極度に色がお好きなのです。強引な御方ではありませんが、御相手さえ御了承されたなら、老若問わず。その際、御姿は御相手の理想へと変えられ』

「ああ、だからあの姿なんだ――って、トヒテ?」

 また魔法か何かかと、無理矢理納得しておけば、ここでぴたり、トヒテの動きが止まった。

 不自然な止まり方に、中身を見たことも相まって、故障かと心配する里理。

 すると、フローライトの瞳にぎょろりと見据えられ、里理の心臓が一つ、大きく跳ねた。

 構わず、トヒテは尋ねる。

『里璃様……一体いつ頃、変わられた御姿を御前と御気づきに? 確か、魔法に関する知識は御持ちではなかったと記憶しておりましたが?』

 てっきり、従者なればこそ、すぐに分かったと思っていた里理は、しどろもどろ答えた。

「え? いや、だって、紹介しろって言った「夜」の代わりみたいに知らない男の人がいたし、それに…………」

『それに?』

「な、なんとなく……見てすぐに分かったんだ。「夜」だって」

 促され、語った言葉は、打って変わって落ち着き払ったモノ。

 染み入るような確信に頷き、トヒテを改めて見やったなら、少しばかり傾いだ首と出会う。

『御覧になられてすぐ……なるほど。里璃様は御前の御身を違われない、稀有な御方なのですね。従者とはいえ――否、従者だからこそ、主たる御前の魔力は浸透し易いはずですのに』

「えっと……そ、それって悪いコト?」

 あまり良い思い出のない“珍しい”という言葉に、里理は意味なく身構えた。

 トヒテは機械的に目をぱちくりさせ、再度首を傾げた。

『いえ。逆に良ろしいことではないかと』

「そうなの?」

『はい。御前の従者に為られたということは、御前側にいらっしゃる方々と面識を御持ちに為られるということですから。あの方々は、往々にして虚妄や騙りを得意とされますので』

「…………」

 さらりと言われたが、それはつまり、この先、「夜」以上に面倒な相手と、会わなくてはいけないという話ではなかろうか。

 しかも、今まで見聞きした「夜」やトヒテの感覚を考慮したなら、里理の身に危険が及ぶのは必至な気がした。

 どんと重くなった気分に、里理は首を振ってこれを払い。

「そ、そうだ……あの、トヒテ?」

『はい?』

「け、恵は、どうなっちゃうの?」

 色を好むという「夜」に連れて行かれたのだから、どうもこうもない、行きつく先は分かりきっている。

 が、知らなかったとはいえ、友人を「夜」に捧げたも同然の里理、今頃になって酷い不安が襲っていた。

 否、不安は初めからあった。

 ただ、トヒテと会話するまでは、自分がそう思っていることすら気づけないほど、動揺していただけ。

 身体がカタカタと震えた。

 心臓の鼓動が煩い。

 頭から鉄を打ち鳴らす音が響く。

 トヒテからの返答を待ち、鳴らした喉は痛かった。

 本当に今更。

 襲う後悔の念が、里璃を押し潰す――直前。

 

「リリ」

 

 呼ばわる声。

 過度の緊張により、背筋を伸ばした身が強張った。

 里理の両脇から現れた、深い闇の腕が腹へ回り、後ろに引っ張られる。

 頭を打つ、硬くも柔らかい感触。

 見上げたなら、覗き込む白い仮面がそこにあり。

「よき計らいであった。間宮恵……好い女だな。お前の知人は」

「け、恵は?」

 過去形で語る「夜」の黒い目に、青褪めた自分の逆さまの顔が映る。

 これへ、心得ていると「夜」は頷き。

「案ずるな。彼女ならば我が閨で眠りに入っておる。幾許もなく目覚めるであろう。しかし……リリよ」

 「夜」の指が頬をするりと撫でた。

 繊細な動きに、どくりと脈動が穿たれた。

 同じように、いや、これ以上の動きで、恵は触れられたのだと思いを巡らせ。

 ふいに沸き上がったのは、形容し難い感情。

 その中で何より強く打ち出されたのは――

 仮に、羞恥とでも名付けようか。

 下世話な想像が、一瞬でも浮かんだ自分が厭わしい。

 知らず唇を噛み締めれば、「夜」の黒髪が仮面に落ちた。

「どう、したい?」

「どう……?」

 問われる意味が分からず鸚鵡返しに問う。

 構うことなく「夜」は言った。

「今のお前の表情は複雑だ。だが一つだけ言えることがある。感情の全てが己へ向けられておる。怒りにしても、そうだ。説明もなく、わざわざお前の知人を指名したのは、私だというに」

「…………」

 「夜」の示すところが分からない里理は、噛むのを止めて眉根を寄せる。

「……正しく交わされはしたが、やはり性急か。顔色も優れぬようだな」

 一人納得する素振りの「夜」。

 回されていた手が両肩に触れ、とんっ……と軽く押された。

 よろけるように数歩進んだ里理は、そのまま「夜」を振り返った。

 すると何かが背に当たり、肩を押さえる。

 首だけ向ければ、目線一つ下で、フローライトの瞳が揺るぎなく「夜」を見つめていた。

 そんな里理の死角から「夜」の声が届く。

「リリよ。今日はもう休むがよい。恵は私が責任を持って帰すゆえ、お前も家族の下へ赴くことを許そう」

「…………へ?」

 フローライトの輝きに瞬き数度、慌てて「夜」に向き直ったなら、伸べられた指先に顎が捉えられた。

 軽く上を向くと、「夜」の黒い双眸が無機質に光った。

「しかし、忘れるでないぞ? お前が真に戻るべきは、最早、家族の在るヒトの世ではない」

 背後の存在を忘れるほど、低く響く甘い音色。

 食い入るように里理が「夜」を見つめ続けていると、口のない仮面の奥で喉が笑った。

「お前が戻るべきは、唯一つ」

 

 ――私の下だけだ。

 

 


UP 2009/4/22 かなぶん

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