人魚の章 十二

 

 食が満たされないことで口を曲げた緋鳥を横に、いつまでも沈黙は怖い。
 察するに、人間も喰らいかねない少女の気を食欲から逸らすべく、泉は問いを口にした。
「あの、ここが人狼のねぐらって、どういう意味ですか? それにしては静かだと思うんですけど……」
 言いつつ思い出すのは、珍しくないという人狼同士の諍いの声。地を鳴らすそれは、この場の静寂には似つかわしくないほど荒々しく、生に満ち溢れていた。
 無機質な夜風と対比すれば、人狼の性質は真逆と言って良い。
「ふむ。此度の従業員様はあまり物をお知りにならない。否、知りたがり、ですかな? 好奇心はネコをも殺すと聞きますが……。死の責任はもたらした者が取るモノ。他の介入は不要。ならば、答えるが必定」
 ぶつくさ一人で納得して後、緋鳥はもう一度「ふむ」と泉の方を向いた。
「奇人街の住人は大半夜行性ですが、人狼は特に月を好む習性があるため、出払っておりまする。いるとしても今時分ねぐらに用があるのは、性交目的の者のみ。聞き耳立てれば、嬌声や睦言の一つでも得られましょうが」
「…………そ、そうですか」
 何とも居辛い話を、年若い緋鳥はさらりと言ってのけた。
 つい先ほどまで自分もそんな可能性のある場所にいたと思えば、なおさら落ち着かない。
「して? 尋ねられたということは、綾音様は望んでここに来られた訳ではないご様子。如何されましたか?」
 好奇心がどうのと言っていた割に、それ以外の何者でもない色を含ませた顔で問うてくる緋鳥。泉は得た情報と、ここに来た最初の状況を思い出して顔を薄っすら赤くする。
「ええと、シウォンさんに……」
「ほほう。なるほどなるほど。シウォン殿に……。はて? では、何故に綾音様はここにおられるのか? 彼の方が己が獲物をそう易々と手放すはずもないのだが」
 心底不思議がる緋鳥を見て、泉の腹底からふつり、湧き上がるモノがある。
 青筋を入れた顔には怒気が含まれようと、笑顔を張りつかせ、
「……寝ちゃいましたよ」
「シウォン殿と?」
「違いますっ! あの人、いきなり、勝手に、人を抱き枕にして寝たんです! だから逃げてきました。ちなみに私は何にもされていませんから!」
「何にも? というのに、眠りこけた挙句逃がした…………ふぅむ?」
 肩で息をし、全否定する泉を余所に、緋鳥はしきりに首を傾げた。
「珍妙な話ですな? シウォン殿は人狼の中でもずば抜けて能力の高いお方。それが、失礼ながら、たかだか人間の小娘一匹、逃すなぞ…………うん? 逃す?」
 爪で顎を擦り、考える風体であった緋鳥の顔が泉を伺うように傾ぐ。
「え……と?」
「…………綾音様。つかぬ事をお尋ねしますが、貴女様は望まれてシウォン殿についてゆかれたのでは? だというのに、逃げるというのは」
「いえ、私、その、早い話が、攫われてここにいるんですけど……」
「攫われた?……むむ? つまりシウォン殿が望んだがゆえに、ここへ?」
「……何を望んでかは知りませんけど、そうです」
 抱き枕然の自身を思い返して、憎々しげに言ったなら、緋鳥は黙考に耽り出す。
 しきりに首を傾げて唸る意識に、泉の姿はないように思えた。
 急に突き放されたような居心地の悪さを感じ、件の人狼から逃げてきた路を見る。
 キフが去ったのと同じ方向には、等間隔の街灯以外、視認できるものなぞないのだが、それゆえの不気味さに思わず身体が震える。
 走る怖気にジャケットを握り締め、はたと気づいてコレを脱いだ。
 そのまま緋鳥へ被せてやる。
「……ほへ?」
「いや……何だか寒そうだなって。私はまだ半袖ですし」
 泉は思わぬ可愛らしい惚けた声に笑いを堪えるが、緋鳥が固まったままなのを受けては、別の話題を探した。
「ええと、緋鳥さん。あの、ここから芥屋って、どう行けば良いんでしょうか?」
「……はあ、ここから、でございまするか…………」
 困惑に困惑を重ねた面持ちで、とりあえずジャケットを羽織った緋鳥は、泉が真っ直ぐ歩いていた先を指差した。
「この水路沿いを真っ直ぐ行きますと、右に巨木が見えて参りますが」
「それって、ラオさん?――――ぁ」
 キフに尋ねては呼吸を止めた名。
 しまったと口を塞ぐ泉だが、緋鳥にとってはどうでもよい名前らしく、彼女の雰囲気に変化はなかった。
「ふむ? 綾音様はアレを御存知で?」
「アレって……。うん、まあ、はい、知ってます」
「ほうほう。なれば話は早い。あの翁から芥屋が見えますれば、その直線上の路を横に逸れず移動し続けると、程なく芥屋に着きまする」
 実に簡単な説明。
 とにもかくにも水路沿いを歩けば良いという指針を得、俄然やる気を取り戻しかけた泉へ、緋鳥が付け加える。
「しかし、人の徒歩では、遠い道のりかもしれませぬな。翁も芥屋も……どうでしょう、綾音様。私めに身を委ねては? 必ずや芥屋には届けますゆえ」
「……でも」
 過ぎる、へらりと笑う黒一色の男の言葉。腹は立つが、事実なのでここはぐっと耐える。
「私、重いと思います。緋鳥さん、すっごく細身だし」
 自分の言葉にダメージを受けつつ言い切れば、目深帽下の大きな口が笑った。
「なに、心配は要りませぬ。華奢だろうとも綾音様程度、運ぶのは造作もなきこと。脆弱な人間の基準を被せられるのは、甚だ不愉快にございます」
「……へ、へえ」
 嘲る音に泉の眉が密かに寄った。
 恭しい緋鳥の態度の端々に見え隠れする、人間という種への明らかな侮蔑。
 理由を察する材料は何ひとつなく、尋ねることすら危うい気がする。
 そんな泉の沈黙をどう受け取ったのか、緋鳥はまた「ふむ」と顎に手を当て、ぽんっと手を打った。
「おおっ! 詰まる所、綾音様は遠慮されておられるのですな? 私めの手を煩わせまいと。なんと奥ゆかしき御心遣い! これは有難く頂戴仕るが礼儀……うくくくくくく」
「ひ、緋鳥さん?」
 突然肩を揺らして笑い始めた緋鳥。
 本能的に走る悪寒から、泉は一歩後退り。
 真似るように一歩近づき、泉との距離を広げまいとする緋鳥が、細い手を伸べてくる。
「さあさ、綾音様。遠慮は要りませぬぞ? 私めに全てお任せくだされ。さすれば、必ずや違えず、芥屋までお連れいたしまする。――なれど」
「!」
 もう一歩退こうとした腕が爪に掴まれ、緋鳥の方へ引っ張られる。
 たたらを踏む足は緋鳥に触れそうな身体を止めるが、下から突きつけるようにその顔が寄っては身動きも取れない。
 にんまり笑う口元から涎が滴り落ちていた。
「綾音様は義理深きお方。無償で運ばれるのはさぞや、御心が苦しいと拝察致しまする。つきましては……この腕、褒美に所望したく」
「っ!?」
 しゅるりと音を立てて涎を呑み込んだ舌が、捕らえられた泉の腕に寄る。
 払うため力を入れても意味はなく、触れる寸前で叫ぶ。
「ストップ、緋鳥さん! ま、待ってください! 私は確かに芥屋に戻りたいですが、緋鳥さんだって、何か用があるんじゃないんですか!?」
 ほとんど悲鳴に近い、甲高い声。
 ヘタをすれば追われる身、という認識は今の泉の頭にはなく、失われようとしている、外気に触れて冷えた右腕を守ることだけが、彼女の望みとなっていた。
 内から沸き起こる悲鳴が、望みを助長し誘発する。

 モウ二度ト、失ッテハイケナイ。
 コノ腕ハ、アノ人ガクレタちゃんすナノダカラ。

 居場所ヲ、手ニスルタメノ――――

 その、一心に突き動かされて。
 無駄と分かっていながら更に力を込め。
 引っかかれたような傷が出来ても躊躇わず――

 唐突に、放された。

「おわっ!?」
 反動でよろけつつも、なんとか体勢を立て直し、尻餅を免れる。
 薄皮の傷に痒みはあるものの、無事な右腕を労るように数度撫でた泉は、緋鳥の挙動を構えて見るなり、思いっきり脱力してしまった。
 先ほどまでの剣呑さはなりを潜め、代わりに乱舞するハートマークの幻覚が泉を襲う。
 今にも歌いだしそうな雰囲気で、緋鳥が頬ずりを続けるのは、キフが置いていった白いハンカチ。
 どうやら指摘するまでもなく、キフの持ち物だと分かっていたらしい。
「うくくくくっ! よくぞ、よくぞお聞きくださいました、綾音様! 私めの用! それはそれは、我が初恋の君、ナーレン閣下拝顔の栄に浴すること!」
「は、初恋!?」
(……またそれは………………難儀なことで)
 ようやくキフの逃走に合点のいった泉。
 ハンカチ一つで、ここまで変化させる想いの強さは、幽鬼より質が悪いように思えた。
 けれど、好機でもある。
 心の中ではたっぷり謝罪しつつ、自分可愛さから、正直に中年が去った方角を指差した。
「それじゃあ早く行かないと! キフさん、あっちに逃げちゃいましたよ?」
「なんと!? 綾音様なんぞに関わったばかりに、あの御方を逃すとはこの緋鳥、一生の不覚! お待ちくだされ、我が君っ!」
 言うが早いか、ジャケットを脱ぎ捨て羽を展開、示された方角へ飛び立っていく。
 失礼極まりないことを言われた気もしないではないが、手に落ちたジャケットを見ては、くすりと笑みが零れてしまった。
 そうまでして、追いかけたい相手のいる、羨ましさ。
 私には、そこまで執着する相手なんていない――と思ったなら、へらへらした男が勝手に浮かんできた。
 ご丁寧に口の中にスプーンを頬張り、楽しそうに泉へ呼びかけ――
 さっと悪くなる顔色。
「そうだ! 晩御飯! は、早く戻らなくちゃ! ああ、でも、もう遅い!?」
 想像は振る舞われるゲテモノ料理まで及び、走り出す泉。
 と、手にした重みで我に返り、ついで緋鳥が消えた方角へ視線を投じた。
「ど、どうしよう、このジャケット。置いといた方が良いのかしら? でもここ、人狼のねぐらだっていうし…………」
 思いつきで腕を文字通り奪われそうにはなったが、色々情報を与えてくれた相手。
 すぐ戻ってくれば良いが、人狼たちが帰ってくる頃に来て、何かあったら大変である。
 なければ上空から知覚できるだろうし。
「よし、預かっておこう……と、寒っ!」
 ついでに夜風に煽られては、預かるよりも貸して貰う考えへ移行していく。
「ううう……す、すみません、緋鳥さん、お借りします」
 一応、緋鳥が去って行った方へ宣言し、着こんでみる。
 ――項垂れた。
「…………う、腕がキツイ…………閉まらないし」
 羽織るだけならできるが、それ以外、ジャケットの機能を役立たせることが出来ない。
 幾ら緋鳥が華奢とはいえ、衝撃的な事実を突きつけられた気分だ。
 服は変わらない着心地なのに、余計自分に対して貫禄を感じてしまう。
 首を振ったところでリフレッシュされない辛さは、ジャケットが不要となる芥屋につくまで続くかもしれない。
 そう思えば、駆け出す足にも力が入る。
 ただし、気力だけは回復されず、
「はあ……まずはラオさんのところね」
 目的地を口にして凹んだ分を補いながら、泉は街灯がぽつぽつ続く路を行く。

* * *

 良くないことというのは、続くものである。

 そんな女がため息を付いたのは、立入禁止と申しつけられていたねぐら。
 群れの頂点――狼首(ろうしゅ)からの命は絶対であるにも関わらず、女がやってきたのは偏に、軽薄な声が煩わしかったためだ。
 だというのに、思惑を外れた軽薄さは、狼首の命など知らぬ素振りで女に続いた。
「なあなあ、いいじゃねぇか。どうせ、そのつもりで戻ってきたんだろう?」
「っさいわね! 今、気分が乗んないの! ほっといて頂戴!」
 鋭い犬歯を剥き出しにして威嚇すれば、先ほどからしつこく纏わり付く男が耳を伏せながら、値踏みする視線を這わせてくる。
「お高く止まるなよ。気分なら俺が持ち上げてやるからさぁ。暇してるんだろう、今。あんたんとこの狼首が趣味に走っちまったせいで」
「…………あんた、どこの群れ?」
 狼首の趣味というには、些か派手さに欠ける趣味を思い、不躾なその言葉に眉を顰めて男を睨む。
 当の男は、女の不穏な気配など察せず、ようやく自分の方を向いたことだけを悦んだ。
「どこって、どこでもいいだろう? やる事に変わりはないんだからよぉ?」
 黙っていれば可愛い部類かもしれない男の相貌は、至極残念なことに、幼い欲情に持て囃され歪になっていた。
(あんまりにも可哀そうだから、この際、殺してしまおうかしら?)
 無邪気を装う男の気配に乗ったと見せかけ、皮肉を込めて女は微笑んでやる。
 途端、品のない口笛を吹いた男を冷ややかに見つめ、影で爪の動きを確認する女。
 最初に裂くなら、オーソドックスに腹が良いか、鮮血飛び散る首が良いか。
 最悪な気分にそぐわぬほど、今日の月は美しい円を闇に浮かび上がらせ、か弱い星々の光を貪りつくしている。
 こんな奴でも、巡る朱は映えるに違いない。
 てらてら、爪を彩る彩りに鬱憤を晴らす夢想を見、
「仕方ないわねぇ、付き合ってあげるわ。でも、満足出来なかったら――」
「へ、へへへへへへへ、野暮なことは言いっこナシだぜ。期待してくれたってイイ。ナリとのギャップが自慢なんだからよ」
「…………そう?」
 喉の奥で大笑いしたい気分を押し留める。
 幾らなんでも知らな過ぎだ、この男は。
 ブロンドの毛並みの中、エメラルドの光を細めた女は、己が群れの狼首を思い浮かべた。
(……あの方の入神の技を一度でも刻まれたなら、そんじょそこらの相手じゃ末技がイイとこ)
 いや、その域にすら達せやしない。
 粟立つ高揚を味わうように胸に手を当て男へ流し目を向け、雛のようにはしゃいで後に続くのを背後に、影でぎりっと歯を軋ませた。
 昂れば昂るほど、今、狼首に触れて貰えない苛立ちが募っていく。
 それもこれも、全ては今いる芥屋の従業員が女のせい――
「……違う…………そうじゃない」
 ぼそり呟いた言葉は男には届かず、けれど女も繕う気はなかった。
 剣呑さを増す眼光が遠く射抜くのは、大したことない容姿の、狼首の趣向には沿わない餓鬼。
 だというのに、彼は珍しくも女を連れ添い、まだ寝入る真昼の中を迎えに行った。
 それだけでも驚くべきことだが、何より驚いたのは、餓鬼が無謀にも狼首を払い、あの方に添うたこと。
 当然とばかりにあの方の背後に隠れ、あの方もそれを当然として。
 狼首の激昂は当然だが、それ以上に女は憤った。
 誰人も拒絶するあの方に身を守られ、わざわざ望んでくださった狼首を払う、人間という卑しい種を自覚せぬ行為。
 あの餓鬼でなければ、ここまでの苛立ちは生じなかっただろう。
 幾ら弱く下賤な種族とはいえ、狼首と床を共にしては、女にも仲間意識が芽生える。
 結末に腹を裂かれ、臓腑を喰らわれようとも、親しく笑い合うことさえ可能だった。
 だが――――
「いやー、虎狼の囲い女は悦楽に通ずるって聞いたから、一度お相手願いたかったんだ。本当、ラッキーだぜ。ここのところ、ずーっとご無沙汰なんだろう? あんたらの狼首、最近、喧嘩に力入れてるって専らの噂だし」
「…………あら、噂じゃなくて事実よ」
 低く唸っても女が属する群れの名に有頂天の男は気づかず、彼女は鋭い爪を忌々しげに噛む。

 おかしな話を聞いたのだ。

 恐るべき芥屋の猫が、幽鬼が出現したある晩、従業員の人間に使役されたという話を。
 同族のソイツは、幽鬼の恐怖に当てられて幻覚を見たのだとからかわれていたが、側近たる少年から狼首へ、その話が漏れたらしい。
 奇しくも群れ同士の争いが始まり、普段は介入しない猫が、双方を際限なく嬲り殺した後に。
 心根など計れるものではないが、猫は奇人街において、何にも勝る狂気。
 狼首にはこれを避けられる能力はあるが、例外なく畏怖すべき存在の奇行は、自尊心の高い彼の心を怯ませたに違いない。
 だからこそ、その猫を使役できるという餓鬼を求めた。
 縋る女を払って、誘う手筈だけを狼首は模索し続け、昂りは女を用いず力で鎮めて。
 それは幾夜も共にあって女が得られなかった、個を望まれる立場に等しい。
 狼首から求められるのも、餓鬼から払うのも、気に入らない。
 理由の全てが、猫に関連していようとも――――
「あー、もうっ! ホングス様の甲斐性なし! ちょっとくらい構ってくれたっていいじゃないか!」
 憂さ晴らしにしても、立入を禁止された場所では拙い、そう思って移動した矢先、そんな叫びが女の耳をつんざく。
 慌てて見やれば、路地の影から赤毛の女が出てきた。
 同族の同じ群れに所属する見知ったその顔は、餓鬼の迎えを共について行ったもう一人。
 よりにもよって、狼首の宿敵たるあの方の名をこの場で叫ぶ愚行を窘めようとした女は、その顔を見て驚いた。
「っ! ちょ、ちょっとあんた!……その顔どうしたの?」
 顔面にくっきりと草履と思しき跡がある。
「どうもこうもないわよ。フーリ様全然構ってくれないって不貞腐れてたら、ホングス様見つけてさっ。今日こそお声かけて貰えないかと思ったのに、気づいてくれないばかりか、足蹴にされて…………はぁ、しばらく顔、洗えないわぁ」
「…………あんたね」
 濃い、というより最早変態の域に達して潤む、薄茶の瞳の発言に、女は呆れ果てて物も言えない。
 それでも似たような境遇。
 半分は引きつつも、もう半分に同情を乗せれば、うっとりしていた獣面が女の後ろを見ていぶかしむ。
「……なに、あいつ」
 虎狼の囲い女などと呼ばれても、狼首たるシウォン・フーリが乗る気にならなければ、他を見繕うのは、赤毛の女も同じこと。
 なのに気まずくなって目を逸らすのは、押し売りで受け入れた背後の男が、女の趣味に合わないため。
「まあ……暇つぶし?」
 趣味が悪いと言われるのを嫌い、そう言ったなら、眼前、首が振られ顎をしゃくる動き。
「違うって。アレよ、アレ」
「アレ?」
 ぞんざいに示された方向を面倒臭そうに振り向く。
 見開かれるエメラルドの瞳。
「な…………嘘……だってそんな……ううん、じゃあフーリ様は?」
 視線の先の動きは、時折後ろを振り向いては安堵の息を吐く。
「あの様子じゃ、逃げてきたみたいね。どうやってかは知らないけど、我らが狼首を出し抜くなんて、やるじゃない?」
 褒める言葉に殺意を織り交ぜ、吐き捨てられたそれに女は頷く。
「ええ……生意気。ううん、恥知らずよ」
 呟きに色はなく、顔にも女の心情を表すような変化はない。
 と、遠慮がちにかかる声がある。
「……な、なあ? 俺のこと忘れてねぇか?」
「…………」
 言われて気づく、すっかり抜け落ちた存在。
 女はこれを認めるなり、振り返って赤毛と視線を交わす。
 現れるのは、弦の歪み。
 そっくりな光を宿すエメラルドと薄茶が、哀れな男を射抜いた。
 途端に震え、怯え出す愚かさを可愛いと同じ顔つきで嗤い、その顎下に指を這わせる。
「ねぇ、気が変わったわ。遊びに付き合って頂戴な。そうしたら、私たち二人で相手になってあげるから。なんだったらお仲間も誘って、さ。遊んで欲しいのよ」
 しなだれかかれば男の喉が貧弱な音を立てて悦ぶ。
 好色を隠しもしない愚鈍さで、舌を垂らした男は「遊び?」と繰り返す。
 女たちは、首肯する。
 つと、闇に消えゆく背を指差して。

「「あの餓鬼を――――――」」

 

 


UP 2008/9/1 かなぶん

加筆・修正 2021/01/06

 

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