花ノ言霊 4

 

 タナムとの会話を経、ミリアの生活は少し変わった。

 着せ替えは相変わらず続けられたが、ミリアの役目に話し相手と抱き枕が付け加えられた。

 枕といっても妙なことをされる訳ではない。

 本当にただ、抱き締められて眠るだけ。

 眠る前は獣の容姿、目覚めたなら人の容姿。

 変貌する様は、最初の内こそ新鮮味があり、一粒で二度美味しい、などと珍妙なことを考えたりしたものだが。

 結局、どちらもタナムに変わりはなく、ゆえにミリアは彼の傍に、彼が望む限り在り続けた。

 

 

 

 ゆるゆる瞼が持ち上がる。

 あれから完治した両手で両目を軽く擦り。

 回された腕をそっと退けて身を起こした。

「……ん?」

 寒いせいか、薄暗い室内で、人の姿をしたタナムの眉が寄せられた。

 眠ったままの腕が、腹へ回るのを起き上がったまま受け止める。

 するとミリアの下敷きになっていた、もう一方の腕が腰を押さえ、乗じて白に近い灰の頭が、ずるずるミリアの背があった位置で止まった。

 まだ残る温さに和らぐ顔。

 はらり、その顔に掛かった、白に近い灰の髪を起さないよう、そっと避けた。

 しかし、ミリアの気遣いを余所に、タナムの睫毛は震え、ぼんやりしたブラウンの瞳が現れる。

 しまったと思ったのも束の間。

「……ミリア?」

 寝惚け混じりの呼び声を受け、心臓がどきりと跳ねた。

 艶のある低い声だというのに、含まれる、迷い子のような頼りない音色。

 不思議な羞恥に駆られるミリアなぞ知らず、タナムの顔が、いつもならミリアの姿がある位置に向けられた。

 けれどそこにあるのは、ミリアの不在を示す、僅かに沈んだシーツだけ。

 身体を支える白い手さえ、彼の視界に入らない。

 途端、見開かれるブラウン。

 焦燥をそこに見たミリアは、つられて焦り、タナムへと声を掛ける。

「だ――」

「ミリアっ!?」

「んべっ!」

 覗き込んだのがいけなかったのだろうか?

 彼女の名を呼び、勢いよく起き上がったタナムの頭が、ミリアの鼻に直撃した。

 だ、旦那様……石頭過ぎ。

 ともすれば、鼻血を噴きそうになる痛みを引き摺り、ミリアの身体が大きく仰け反った。

 その際、倒れる速度についていくのがやっとの腕は、ベッドへの着地を補助出来ず、ばふんっと気の抜けた音が起こる。

 併せ、投げ出した格好となった腕を回収したミリアは、じんじん痛む鼻を両手で覆い、間抜けな自分を呪ってうつ伏せとなる。

 ううううう……ちゃんと見ていたはずなのに、咄嗟に反応出来ないなんて。

 鈍い自分が恨めしい。

「み、ミリア……?」

 そこへ、背中に掛けられる恐々とした声。

 細い肩紐しかない素肌に手を置かれ、自己嫌悪真っ最中のミリアは、そのままの顔で声の主を見やった。

 彼女自身、意識していない表情は、傍からすると、恨みがましく睨んでおり、眦に浮かんだ涙から、打った鼻の痛みが窺い知れ。

「す、すまん。気づかなかったとはいえ、お前に怪我を負わせるなど」

「怪我……? いえ、怪我なんかしていませんけど。ちょっと鼻が痛いくらいで」

「! す、すまない、大丈夫か? 痛むのなら私に診せてくれ。これでも少しは医学の知識があるつもりだ」

「えっ!?」

 ミリアにしてみれば、たかだか鼻を打った程度の話。

 頭ならば兎も角、しばらくすれば引く痛み、診るのに医学の知識が必要とは、さほど思えず。

 何より、もしも鼻血が出ていたなら、タナムにだけは見られたくなかった。

 ので――

「遠慮します! 放って置いてください!」

 もっと他に言い様があっただろうに、恥ずかしい事この上ないタナムの申し出へ、ミリアは強い口調で拒否を入れた。

 ――そうとは知らず、彼を睨みつけた格好のまま。

 これへ狼狽した様子のタナムは、ミリアを放るどころか、益々近くに寄っては謝罪を述べる。

「ミリア、すまない。許して欲しい。他意はなかったんだ。ただ、お前がいないと知って私は――」

「だ、旦那様、お願いですから、離れてください!」

 まだじりじり痛む鼻は、タナムの訴えをミリアの耳に寄せ付けず、逆に鼻血の可能性だけを彼女に突きつけてくる。

 どう明るく想像したとて不恰好な自分を、タナムに見られたくはない。

 その一心で、ミリアは鼻を押さえたまま、近づくタナムから逃げ。

 だがその前に、腹に回された腕が身体を掬い、離れたかったタナムの裸の胸をミリアの目に映させた。

「ミリア」

 次いで、覗き込むタナムの眼が視界に入る前に、ミリアは視線を思いっきり他方へ逸らした。

 抱き起こされた不利な状況に、鼻に添えた手は意地でも固定しつつ。

「離して、くださいっ」

 空いている手でタナムの胸を押す。

 けれどタナムは腹に回した腕を離さず、それどころか力を入れては、絶対に離さないと意思表示。

「ミリア……頼むから機嫌を直してくれ。私を見て」

「い、や! 見ないで! 離して下さったら、機嫌も直りますから――――っ!?」

 断固拒否を貫くミリアに痺れを切らしたのか。

 唐突に顎を掴まれたミリアは、驚きにエメラルドの瞳を見開いた。

 半ば強引に交わされた至近のブラウン。

 取り払われた手は、腕ごと身体を拘束され、回されたタナムの腕を掴む事しか出来ず。

 無理矢理逸らされた首が痛い。

 しかし何よりもミリアを驚かせたのは、柔らかな感触。

 触れるような優しさはなく、かといって貪るような激しさはなく。

 ただただ、縋りつくような熱だけが、其処にはあり。

 徐々にタナムの眼から、起き抜けの焦りが失せれば、惜しみ離される唇。

「……ミリア」

「っ!」

 寝起きとは違う熱の籠もった笑みに、鼻の痛みを忘れてミリアは怯えた。

 何故突然、こんな事をするのか。

 咄嗟に浮かんだ答えは、逃げ回る最中で弄ばれた、今は亡き彼女の姿。

 泣き叫び、混乱する彼女は、嘲笑を浴びながら果てていた。

 あの時は何も感じられなかったミリアだが、今は違う。

 目の前の男に恐怖を与えられ、感情を取り戻した。

 だからだろうか。

 だからミリアに感情を取り戻させたのだろうか。

 こうして逃げ回るように。嫌がるように。

 だから、こんな事をしたのだろうか。

 彼女を見せしめに殺した連中のように、感情のまま怯えるミリアを嗤って殺すために。

 どうせなら、ただ殺すだけにして欲しかった。

 こんな、恋慕を錯覚してしまう、やり方ではなくて。

 帰らない選択をした私の心を、揺さぶるような方法ではなくて。

 

 裏切るような真似をせず、ひとおもいに、殺して欲しかった。

 

「いやっ!」

 逃げないミリアの身体を知り、緩められた拘束。

 その隙間を縫い、ミリアは自由を取り戻した手の甲で、再度近づこうとしたタナムの頬を張った。

「ミ、リア……?」

 茫然とした表情がタナムに宿る。

 張られた頬へ彼の手が触れる前に、もがいたミリアはタナムから離れる。

 恐々頬を擦るタナムに背を向け、敷布を掻いてベッドの端へ。

「きゃっ!?」

 その前に、足首が掴まれ、無造作に引っぱられた。

 バランスを崩してベッドへ伏せば、足首の痛みに顔を顰める暇もなく、肩を乱暴に掴まれて仰向けにさせられる。

「っ」

 金髪が宙に弾ける衝撃に目を瞑り、バウンドした身体が落ち着くと、今度は全身に圧が掛かった。

 苦しさから目を開いたミリアは、それが何か判別する前に、口を艶かしいモノに塞がれた。

 圧迫のせいで起こる咳さえ上手く吐き出せない内に、意思を取り戻した手の動きを封じられたなら、ぬるりと絡みつくモノが唇を離れて首筋を這う。

「ひ」

 これは何か――理解した矢先、肩紐がぷつりと音を立てて千切れた。

 片方の胸が無造作に掴まれたなら、鋭い痛みがすぐさま返り。

 思わず敷布を握り締めれば、手の解放を知り、それをミリアは己の口へと宛がう。

 この先、どんな声も上げたくないと唇を噛み締めて。

「ふ、ぅっ……」

 それでも漏れた音は、ミリアの眼の横に雫を幾度となく流させた。

 今頃、自分の想いを知って。

 いつからか定かではないけれど、いつの間にか、ミリアはタナムの事を好きになっていた。

 もしこれが、対等の立場なら、ミリアとて抵抗の一つや二つしただろう。

 抵抗した上で、もっとちゃんと、自分を見て欲しいと訴えかける事も出来たはずだ。

 けれどタナムは、人間ではない上に、金でミリアを買った者。

 ただの所有物としてしか認識されていないなら、抵抗は無意味に等しい。

 捌け口なら別の人にして欲しいと思う反面、私以外の誰かに触れないでとも想う。

 結局、どっちつかずの葛藤は、ミリアに受け入れる事しかさせてくれず。

 煩わしい涙を隠すべく、口だけではなく、顔を全て覆う。

 彼に必要なのは、私ではないと言い聞かせるように。

 けれど。

「…………?」

 動きが止まり、圧が緩む。

 肌寒さを感じれば服が直され、顔に宛がう手が静かに剥がされた。

 取り戻した光の眩しさに目を細める。

 と、大きな手が涙を拭うようにミリアの顔を撫でた。

「旦那……様?」

 何度も何度も撫でられ、ようやくはっきりした視界でタナムを捉えたなら。

「……すまない」

 言って彼は、ミリアに背を向けた。

 そのままベッドを降りると、上着を羽織り、こちらを一瞥せずに部屋を出て行く。

 これを見送ったミリアは、最後にカシャンと鳴った鍵の音を聞いて、はっと我に返った。

「……旦那様?」

 背を向ける直前、見てしまったタナムの表情に、肩紐が切れたせいで心許ない胸元を握り締めた。

 どうして貴方が、あんなに傷ついた顔をするの?

 掴まれた痛みの残る胸内の問いかけは、答えの主を見つけられず……

 

 この日より、タナムがミリアの元を訪れる回数は、めっきり少なくなっていく。

 

 

 

 

 交わしてもすぐに逸らされる視線。

 開きかけても声にならない言葉。

 耳にする音は他方に向けられたもので。

 宥める手もなく、寝起きすら一人となり。

 示される拒絶の意思にミリアが震えたなら、ある日、彼女は気づいてしまった。

 

 

 夜行性だという人狼のタナムの寝起きに生活を併せていたため、はたと目が覚めた時刻は、朝。

 それでも窓のない部屋は暗く、ゆえに分かる、近づく足音、静かな息遣い。

 一体誰が……?

 身を強張らせる事しか出来ないミリアに対し、彼女が起きていると知らない相手は、ゆっくりとベッドへ侵入してきた。

 断りもなく女性の寝室――どころか寝床に入って来たくせに、彼女を起さぬよう気を使う素振りで。

 やがて伸べられる腕を知り、ミリアは一瞬硬直しかけ。

「ミリア……」

 ……旦那様?

 呼ばれた名に侵入者の正体を視たミリアは、ぴくりと反応してしまった。

 これへ、侵入者――タナムは、腕をすぐさま引っ込めた。

「…………」

 伺う気配。

 ミリアが起きているのか寝ているのか、確かめる沈黙。

 もし今、不用意に動けば、彼は音も立てず、部屋を出て行くに違いない。

 そんな結論に至れば、ミリアはじっと動かず、寝たふりをする。

 極力、緊張から呼吸が乱れぬよう、気を配りつつ。

 タナムが一体、何をしに来たのかを知るために。

 まさか…………………………夜這い?

「っ、そんな!」

「!」

 一瞬、浮かんだ発想に頬を染めたミリアは、思わず口をついた言葉で、タナムが逃げの姿勢に入った事を薄っすら感じた。

 きゃーっ、私の馬鹿!

 心の中で自分を罵りつつも、はっと思いつく。

 そうだ、寝言として処理してしまえ。

 このまま黙ってしまうのも手だが、警戒され続けるのは拙い。

 警戒の延長で、些細な事をタナムが気にすれば、彼が何しに来たのか分からなくなってしまう。

 そうしてミリアが短い時間に思いついた寝言と言えば。

「頑張れ、エリック!」

「……えりっく?」

 あまりにも不可解な言葉だったのだろう。

 思わずと言った調子で、ぽつりと繰り返したタナムが、己のミスに気づいて息を呑む音が届いた。

 だ、旦那様………………可愛い。

 微笑ましいタナムへ、笑いかけてしまいそうな自分を律するミリア。

 ここで声を掛けては、折角の寝て言っていない寝言が台無しである。

 

 ちなみに、エリックとは、ミリアが大好きな絵本の主人公、白くて大きな犬の名前だ。

 ぐうたらで大食らい、風呂に入れてもすぐ身体を汚してしまう彼は、飼い主からも邪魔者扱いされていた。

 けれど、妹分の人間の女の子が悪者に攫われたのを知るなり、誰もが驚くような活躍を経て、彼女を救い出すのだ。

 だからといって、ぐうたらな性格は変わらないし、邪魔者扱いも変わらない。

 だって、彼の活躍を知っているのは女の子だけだから。

 それでも、誰か一人でも、自分を理解してくれるなら。

 それは何ものにも変えがたい力となる――そんな内容のお話だった。

 ミリアは中でも、助け出された女の子がエリックの背に乗るシーンに、幼い頃から憧れを抱いていた。

 私もいつか、エリックみたいな犬の背中に乗せてもらうんだ、と。

 

 ……成長した今では、絶対無理だけど。

 儚い夢の後を胸の中だけで払えば、タナムが動き出すのを感じた。

 ただ、隠さずに漂ってくる、この不愉快だと言わんばかりの空気はなんだろう。

 自然、ミリアの身体が、拒絶される前に起こった出来事を思い出して強張った。

 だとしても、それなら何も、ミリアが寝ている時に来なくてもよいはずだ。

 気を取り直し、懸命に寝たふりを続けるミリア。

 対するタナムは、触れる直前で、それまでの不穏な気配を取り払う。

 これから何か始まる、その兆しを思わせるような動き。

 呼吸の上での寝たふりは出来ても、鼓動まで制せないミリアは、この心音をタナムが察しないように、必死で姿勢を固定し続け。

 そろり、横向きに寝る身体の下を通る腕。

 違和感を抱くのは、いつもは裸の上半身に、服の感触があるから。

 次いで、上にもう一方の腕が覆い被さり、頭に額が押し付けられた。

 酷く恐々触れる抱き枕の状態に、次は何が来るのかしら!? と半ば焼けっぱちにミリアが思ったなら、辛そうな溜息が彼女の髪を揺らした。

 その響きとくすぐったさから、振り向きたくなる衝動を堪え、あの日以来、ほとんど触れていない他者の温もりに慄く心を堪え、ただただ、ミリアはタナムの次の行動を待つ。

「…………」

 けれど、いつまで経ってもタナムが何かをする様子はなく。

 それどころか。

「…………………………旦那様?」

 気づいたミリアは、タナムを起さないよう、身体の位置を変え、正面の至近に彼の顔を捉えた。

 闇に慣れた目には、薄っすら、その表情が見え。

「……タナム?」

 思わず名を呼び、彼の頬を軽く撫でた。

 途端、回されただけの腕が力を帯びて、ミリアの身体を彼へと引き寄せる。

 緩慢なこの動きに慌てたミリアは、締まる前に身体の位置を戻し、柔らかな拘束を甘んじて受け入れた。

 反面、顔に現れる動揺は、ミリアの心をそのまま表していた。

 奇人街という名のこの街は、その性質から心休まる場所が少ない、らしい。

 ゆえにミリアの、今のような行動は、タナムを起すに値するのだが、彼は終ぞ目を覚まさず、静かに寝息を立てたまま。

 何よりミリアの心を騒がせたのは、その眠りが決して安らかなものではなく、苦悶の表情を浮かべたものである事だった。

 しかも、名を呼んで頬を撫でた矢先、殊更眉間に皺を寄せて辛そうな顔をしたくせに、身体はミリアを突き放すどころか、彼女に縋りつく様子で。

 試しに回された手にミリアが手を重ねたなら、甘える素振りで頭に頬ずりを受ける始末。

 ど、どうしたのかな? 何かあったのかな? それとも……仲直り、してくれるのかな?

 ミリアにしてみれば、一方的に無視されたも同然であるため、仲直りでも何でもない話だった。

 いや、買われた彼女と買ったタナムに、仲直りなどという、対等の立場があるはずもない。

 だが、ミリアは期待した。

 と同時に、決意する。

 仲直りをして、彼が苦しんでいる事の手助けをしたい――自分に何が出来るのかは分からないけれど。

 何も出来ないかもしれない……それでも。

 そうして、まさか寝ているタナムを起すわけにもいかず、自身も睡魔に襲われたミリアは、全ては明日だと目を閉じ――。

 

 

 

 しかして、目覚めてみれば、ベッドはもぬけのから。

 昨日のあれは夢だったのかと半ば落胆したミリア、ウェーブがかった髪をかきあげる。

 と、そこに、彼女のモノではない、白に近い灰色の髪が落ちた。

「…………」

 髪を拾い上げたミリアは、抱えた膝をだらしなく崩し、腕をそこに置いては、まじまじとそれを眺めた。

 一通り眺めたなら、今度は意味もなく蝶々結びを作り。

 何気なく移した視線の先には、一人で使ったにしては皺の多い、薄手のブランケット。

「…………そーいえば、最近、妙に寝具の乱れが酷かったな……」

 だからといって、身体にある痕跡は、寝起きの気だるさだけ。

「これって、つまり……あの人…………今までも私に無断で、私を抱き枕にしていたって事?」

 ぼそり、自分で呟いた言葉に、つきりと胸が痛んだ。

 これを抱えたまま、ベッドへ倒れこんだミリアは、蝶々結びにした髪をタナムのいた場所へ置いた。

 ほっそりした指で、蝶々の結び目を押せば、枠しかない翅がぴこぴこ動く。

 無表情で蝶の羽ばたきを見つめる。

 程なく、涙で視界が滲んだなら、ミリアは蝶を手で閉ざして敷布に顔を押し付けた。

 答えないと知っているくせに、タナムが呼んだ名を思い出す。

 貴方の中の私は……モノでしかないの?

 口を開けば、拒絶しか吐かないとでも思われているのだろうか。

 だから、ミリアが何も語らない眠りの時に訪れる。

 彼女の意識がない時に、馴染んだ枕を求めて。

 買われた、所有物でしかない己の立場からすれば、至極当然なのかもしれないが。

「ふ……ぅうう」

 感情を取り戻すよう促しておいて、今更、心だけ切り捨てるつもり?

 惨い人だとタナムを責める一方で、泣き声をベッドに沈めるミリアは、それでも彼を嫌いになれない自分を内心で笑う。

 

 酷く、引き攣れた笑みで――

 

 


2009/9/11 かなぶん

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