花ノ言霊 5

 

 泣き腫らしたままでいるわけにもいかず、部屋に備え付けられた洗面所で顔を洗った。

 水気を拭き取り、顔を上げた先の鏡。

 やつれた金の髪と腫れぼったいエメラルドの瞳、赤くなった鼻を見て、ミリアは「酷い顔」と笑った。

 途端にまた出てきそうな涙を感じれば、再度顔を冷たい水で打ち苦い感情を沈めた。

 所詮、自分は買われた身で、彼が望むのならこんなモノはいらないのだと言い聞かせる。

 笑みも悲しみも怒りも、起伏のある感情はいらない。

 私が私として起す反応に意味なんかない。

 必要なのは、彼が望む表情だけ。

 そうしてもう一度、鏡の中の自分と対峙したミリアはふっと笑ってみせた。

 とても綺麗で儚げな――空虚な笑みで。

 なんて事はない。

 これはいつも、社交の場で彼女がしてきた仕草。

 上辺だけの諂いだ。

 思いを隠す仮面(ペルソナ)は、本当の彼女を知らない者たちが勝手に描いた通りの彼女を自動的に演じてくれる。

 あの肖像画のように物静かで優しげな、けれどどこか憂いを秘めた、幻想的な少女を作り上げる。

 生身のミリア・ローディアがどれだけ醜い感情を有していても、欠片も気づかずに。

 ただのありふれた少女でしかない、その事実を無視して。

 自分のままでいたい彼女の願望も知らず。

「…………はあ」

 幾分さっぱりした表情で息をつく。

 次いで、クローゼットから適当な服に着替えた。

 どうせ後で着せ替えさせられるのだからと選んだラフな格好の襟首から、長い金髪を両手で持ち上げる。

 すると視界に入る、ベッド奥の赤いカーテン。

 この部屋で寝起きするようになってから何度か気にはなっていたが、ここの主が何も言わないものだから、ミリアは触れてはいけないのだと思っていた。

 けれど今、己を必要としていない相手の心情をどうして図らねばならないのか。

 心を捨てる餞別だと好奇心の赴くままそちらへ足を伸ばす。

 大きなベッドを迂回し、緞帳のような深紅のカーテンへ手を掛け。

 しかし、重いそれは地面に縫い付けられているかのように動かない。

 引っ張っても押しても、どうにもならないカーテンに息をついたミリアは、ふと視線を滑らせた先に、天井から垂れる意味ありげな金の太い紐を認めた。

 紐に近づき掴んだミリアは、無闇に引っ張ったりせず、仕組みを探るべく紐を見上げた。

 もしかして、これでカーテンを動かすの?

 思い至れば開けようと一生懸命だった分、滑稽な自分に気恥ずかしさを覚えた。

 誰も見ていなくて良かった……

 なんともなしにほっと胸を撫で下ろすミリア。

 今度こそカーテンを開けてやると意気込みんだなら、ぐっと紐を下に引っ張り。

「何を、している」

「っ!」

 黒い爪を携える、白に近い灰の毛に覆われた手が、紐を掴むミリアの手に触れた。

 思わず触られた腕を抱き寄せ、自分の身体を退かせれば、開けた視界に人狼姿の彼を見た。

 鼻面に乗っかったフレームのない眼鏡の先から、怪訝な視線を送るブラウンに、こんな時に限って目を合わせるのかと苦い思いが過ぎった。

 と同時に、感情を殺すのだと思い直す。

 交わされたところで、相手が求めているのはミリアの形をしたモノ。

 だから彼女は姿勢を正し、平然と首を振った。

「何も。ただ、その先に何があるのか、気になったので」

 正直に、何でもない事だと答える。

 これに対し、彼の眼が少しばかり強張った。

 不可思議な反応だが、今のミリアは人形。

 尋ねる真似もせず、彼の出方を待つ。

 さほど時を要せず視線がカーテンへ向けられれば、投げかけたい問いが喉を衝いた。

 何故無視するのか、何故夜中に訪れるのか……

 突然否定するくらいなら、何故話しかけたのか。

 何故私を、一時でも認めてくれるような真似をしたの――でなければ、こんなに苦しいとは思わなかったのに。

 巡る想いは閉じた瞳の奥に隠し、荒れ狂う問いの代わりに深い息がミリアの口を出て行く。

「…………着替えを」

 暗がりの中で、低く唸る声が響いた。

 目を開けたミリアは逸らされたままの瞳を見ず、部屋の外で待機しているであろう女の下へ向かう。

 

 

 

 胸元に大輪をあしらったその薄紅のドレスは、今まで着せられてきたものとは違い、ミリアの身体にぴたりと合っていた。

 胸から上の素肌を隠す薄いショールも、柔らかく包み込む肌触り。

 長い髪が結い上げられ、薄化粧と金細工の装飾が施されたなら、姿見に映る自分を見たミリアは呆気にとられてしまう。

 そこにいたのは、幻想的な肖像画のミリア・ローディアではなく、生身の彼女。

 泣きもすれば笑いもする、ミリア・ローディアという少女そのものが映っている。

 社交で培った仮面を演じれば、すぐさま滑稽に見えてしまう、それくらい瑞々しい少女の像。

 なればこそ、自分の仕事に満足したのか、滅多に話しかけてこない女が獣面のまま豪快に笑った。

「自分でも惚れ惚れする出来栄えだ。しかし、勘違いしちゃいけない。お前のこの姿を望んだのは他でもない旦那様なんだ。あの方は余程お前に心を砕かれているようだな。生きた奴らを飾る趣味はよう分からんが、ここまで素材を生かされた奴は初めてだ。誇りに思え?」

「…………」

 正直、ミリアも笑いたい気分だった。

 感情を殺そうと決めた途端、こんな格好をさせられるなんて。

 思い通りにいかない現実に疲れ果て、苦笑だけを皮肉に歪めて表せば、丁度彼がやってきた。

 だが、自分で選んだ姿を一瞥すらしない彼は、ミリアについてくる事を要求するだけ。

 やはり、彼にとってミリアはモノでしかないのだろう。

 見送る女から呆れのような息が零れ、尖った耳が反応しても、彼はミリアの後ろにいる彼女を咎めず。

 

 

 

 辿り着いたのはいつかの日に訪れた、ミリアと同じく着飾られた者たちのいる部屋。

 以前と同じく、彼が入るなり談笑がぴたりと止まる。

 以前と違うのは、ミリアを見つめる視線がいくつもある事。

 中には怖気の走る気配もあり。

 かといって、モノの自分に思う心なぞ許されない。

 止まりそうになる身体、蹴躓きそうになる足を律しては、彼が望む位置へ――

「旦那様……あの方から使いが」

 その時、入って来た扉から人狼の男が彼へと声を掛けた。

「……分かった」

 舌打ちしそうな言葉、こちらを見ずに歩く背へ、咄嗟にミリアの手が動きかけた。

 行かないで、一人にしないで。

 こんな、恐ろしい異形たちの下に私を置いていかないで。

 容姿的には代わり映えしない彼にそう、訴えかけて。

 しかし、ミリアの手は微かに揺らいだのみ。

 呼吸に合わせて動いたとしか思えない自然な動作に、彼が気づくはずもない。

 去っていく背に追いかける足も在らず、ミリアは不安な眼差しを床に投じた。

 どう足掻いたとて、自分は人形でしかないと言い聞かせ。

 ぱたり、無情に響いた死角の扉に目を伏せた。

 主がいなくなっても、しん……と耳に染む静寂。

 聞こえぬ外の動きを探るように、静けさは彼の姿が完全に遠退いたと思えるまで続き。

 

 

「なあ」

 

 

 ふいに声を掛けられ、ミリアは心の中で悲鳴を上げた。

 それでも顔を上げて声を掛けてきた相手を見やれば、あちらこちらに、にやにや嗤う顔。

 彼らに会った憶えはないが、この表情には憶えがあった。

 逃げるミリアを追う少年たちや、そんな彼らの怯える様を見た異形たちの、弱者を虐げることに至福を感じる、悦に入った笑み。

 競りの際、終始大人しかったミリアには一度たりとも向けられなかった視線。

 今、こうして向けられる事に、けれどミリアはさして疑問を抱かない。

 分かりきった事だった。

 原因は、この姿。

 彼らが一様に悦ぶのは、感情を示す相手の、純粋な恐怖。

 だからこそ、最初にミリアがここへ訪れた時は誰も見向きもしなかったのだ。

 競りの時と変わらない姿だったからこそ。

「澄ましているのかい、お嬢ちゃん」

「っ」

 いきなり突き飛ばされる身体。

 受け止めるモノは何ひとつなく、片足から離れた靴の如く床に転がれば、ドレスの裾が蹴り払われた。

 中に何枚重ねていようとも太腿近くまで翻ったスカートは恐ろしく、慌てて戻せば口笛が鳴った。

 しまった……!

 感情を露わにした事への後悔が襲い来る。

 何をされても来た時のように反応を示さなければ、つまらないと早々に解放されたはずなのに。

 怯えれば怯えた分だけしつこく攻め立てる彼らは、反面、反応のない者に対する飽きが早い。

 なればこそ、ミリアは今の今まで清い身体でいられた。

 恐怖を感じる心も身体も麻痺していたからこそ。

 だというのに今は、皮肉げに笑う事すら歯が鳴るばかりで上手くゆかず。

 初めて、ミリアは自分を買った男を恨んだ。

 感情を取り戻させた彼を。

 もしくは、彼女に何もしなかった彼を。

 乱暴に扱われたなら、こんな風に感じる事もなかったと。

 優しいと思った彼を恨み、詰り――。

 弾かれたように起き上がっては駆ける身体。

 スカートをたくし上げ、靴の有無により生じる可笑しな足の運びにも構わず。

「おやおや。どこへ逃げるのかな?」

 恐怖に顔を強張らせ、走る背に掛かる嘲笑の中、ミリアは助けを乞う。

 他の誰でもない彼へ、頼り、扉へと手を伸ばして。

 けれど、叶うはずもない。

「っ!」

 翻った裾を掴まれ、身体がつんのめる。

 そうかと思えば髪を掴まれ、頭からぶちりと何本か抜ける音が響き、結われた髪は容易く形を崩した。

 後方によろければ幾度となく払われた足からもう一方の靴が転げ落ち、ショールに至っては地へ伏す前に破かれ奪われ。

 全身を床に叩きつけられたなら、そこかしこから笑いが起こった。

 

「面白い娘(玩具)。どこへ逃げようというのか」

「逃げたところでこの屋敷の者に見つかれば、殺されるだけだというのに」

「いいや。この顔ならば使用人にくすねられて売られるだろう。だがその前に」

「散々弄られる事だろうさ。相手はさて、男か女か」

「幾人、という場合もあろうな。あの澄ました顔が、こうして屈辱に崩れゆく様は見ていてとても愉しい」

「ふむ。切り刻んで餌とするも良いだろう。獣に喰われる己の四肢、臓腑を、この瞳に映すも、また一興」

「惜しむらくは、我らに許される遊戯は一つしかないことか」

「タナム・リィシン、不可思議なこの屋敷の主。逆らえば命の保障もない、類稀なる力を持ちながら、わざわざ買い取った我らを着飾るばかりで指先一つ触れはせぬ」

「そのくせ、殺しや目立った破損がなければ、我らが何をしていても勘繰らず」

「力ある者の怠慢か。我らが何も出来ないと考えているのだろう。彼の力に怯えて、互いに殺し合う事もしないと。真実、彼の力は恐れるに値するが……要はバレなきゃいいんだよ」

「たとえば――そのドレスが破かれたとしても」

 

 その言葉を合図に、倒れるミリアのドレスから胸元の大輪が引き千切られた。

「ぃやっ!?」

「変わりに別の者の服を被せれば、あぁら不思議、タナム・リィシンは気づかない。逆に、ボロを着せられた無傷の者を気に掛けるのさ。あの変人は」

「しかもお誂え向きにこの部屋の防音は完璧だ。優れた聴覚を持つ人狼でさえ外からでは中の様子を探れない。つまり幾ら泣こうが喚こうが、誰かの迷惑になるって事はない訳だ」

「だから思う存分啼いておくれよ、お嬢ちゃん?」

 露わになる下着へ走る怖気のまま手を翳せば、ストッキング越しに掴まれた片足が大きく上げられる。

「ひっ!?」

 重ねられた白い薄布の中からショーツまで覗いたなら、涼しくなる足に恐れをなして掴む手を払い除け、乱れた裾に躓きかけながらも立ち上がる。

 そのまま何処へ向かうでもなく、逃げるためつんのめりながら走り出せば、通り過ぎようとした男から腕が伸び、肩を掴まれては乱暴に後方へと投げ出された。

「きゃあっ」

 倒れた時の痛みを察し衝撃に備えるように目を閉じるミリア。

「おっと」

 しかして床に打たれるはずだったミリアの背中は、誰かの胸に受け止められる。

 思わぬクッションの登場に、状況を忘れて肩の力を抜いたのも束の間の事。

「未発達の割にはイイ乳してるじゃねぇか」

「っ!?」

 下着ごと胸を揉まれ、後ろの男を突き飛ばす。

 振り向き、信じられないとにやついた男を睨みつけたなら、たたらを踏んだ先の後ろで忍び寄る手が、無防備だった背中の布を引き裂いた。

「やっ、何を!?」

 再び身体の方向を変えれば、相手を視認する前に翳す腕ごと胸を押され、仰け反ったなら受け止めた何者かの手がスカートを引き千切る。

「! どうしてこんなことを!?」

 破れたスカートに流され、ミリアの足が勝手にふらつく。

 次いでまた寄せる羽目になった身体は、薄くなった下半身にするりと手を差し込んできた。

「ほぉ? 綺麗な肌をしている。この皮も裂けば、さぞや美味そうな血が溢れ出るのだろうな」

「!」

 腿なぞる指に恐怖を覚え、添う腕を外そうとミリアがもがけば、乱れた髪から覗く背へ腕の主が舌を這わせていく。

 共に当たる硬質は牙の先端をミリアの脳裏に描かせた。

 辱めとは違う、殺傷の気配を感じてがむしゃらに離れたなら、今度は男ではなく女の胸がミリアの顔を埋めた。

 手をついた柔らかさに瞠目して顔を上げれば、頬に当てた自身の手の小指を噛んだ女が、うっとりした表情を帽子から垂れるヴェール越しにミリアへ向けた。

「あらまあ、可哀相ですこと。で・も……だって仕方ないじゃない? 退屈なんですもの、あたくしたち」

 これを引き継ぐのは、別の女と笑い合っていた男。

「なに、すぐに慣れるさ。この屋敷の主人のお陰で私たちは極力傷つけないで遊ぶ方法を見つけたからね。まあ、時には失敗することもあるが」

 苦笑混じりの男に対し、彼の近くにいた女が眉根を寄せて同調を示す。

「ええ、ええ。この前の、コレと年の頃が同じくらいの娘でしょう? けどアレは私たちのせいじゃないわ。薬を使った奴が悪いのよ。だからすぐ駄目になっちゃって」

「私と同じ娘…………だめ……?」

 聞き咎めた単語に、自分の姿を忘れて惚けるミリア。

「ほらほら、今は殿方に遊んで貰いなさいな。あたくしたちとのお楽しみは後で、ね?」

 女が無情に突き飛ばし、またも受け止めた無骨な手が身体を這い始めても瞬き一つせず。

 確か以前、あの人が――旦那様が帰るかと聞いて、でも結局帰れなかった娘がいた、と。

 思い起こされる無表情の中でブラウンの瞳に宿った、後悔ともつかぬ哀れみの念。

 彼らのような笑い交じりではなく、かといって、ミリアほど悲哀に満ちたものでもなく。

 非日常が日常の場に置かれた身ゆえ、諦めだけを色濃く滲ませた、彼女を帰そうとしていた彼の、その思いはたぶんきっと――

 そんなミリアの様子には誰一人気を止めず、また他方から声がやってくる。

「薬って量の問題だろう? ここにいる我らには手を出せない薬をファズの奴が見境なく投与したんだ。怯えるばかりで愉しくないから、と」

 同意を得る問い掛けに、近くの声が答えを返す。

「ああ。ありゃ確か、自動人形(オートマタ)だったな。種族関係なく、相手の反応を思い通りに変えられるっていう劇薬の。けど、あれじゃあ量を問題にしたところで、遅かれ早かれ、だろ? 副作用で臓腑が腐れていくんだから」

「!」

 熱い吐息が首筋に埋められ、胸や足を不躾な手が蠢く中で、ミリアの意識は別の方向へと流れていく。

 組み立てた推測から、激情が一気に彼女の頭を熱した。

 併せて、拘束されたままの身体が動けば容易く解放を得、前へ進んだ勢いのまま叫ぶ。

「どうして!? 旦那様はその子を帰そうとしていたのに!」

 突然の怒りに、もう気でも触れたのかと満ちる呆れ顔も認めず、噛み付くように続ける。

「なのに、傷つけたの!? 帰ったはずなのに戻ったら、また!? そうして殺したの!?」

 憐れな格好を晒しながらの訴えに対し、興ざめだと言わんばかりの顔で首を振る男がミリアに近づいてきた。

「おいおい、お嬢ちゃん。俺らが殺したって、そりゃお前、言いがかりってもんさ」

 軽々しく肩を抱こうとする手を弾けば、他方から男の言葉を誰かが引き継ぐ。

「そうそう、俺らはただ、あの娘で遊んだだけ。アレが帰れなかったのは、単に、あの薬の依存性が高かったからさ。……いや、もしかすると、ファズの野郎がトドメを刺したのかもな。薬を持っていたのは奴だし。何よりアイツは、あの娘の泣き顔が好きだったから」

「ひどい……」

 他に何も紡げず、唇を噛み締めるミリアの眼から涙が零れた。

 陰惨な者たちの手から最期まで救われなかった娘のためか、彼らの本性に気づかないタナムのためか。

 どちらにせよ、自身のためではない涙は、これを嗤う者たちにとって悦楽の一つにしか過ぎない。

「俺ら残して一人の世界に浸るなよ、お嬢ちゃん」

「――っ!」

 背中の右側に残っていた生地を掴んだ手が前へと払われる。

 突然の動きによろめいた矢先、後ろから捕らえられた両手首が胸を突き出すように左右に開かれ、それと同時に下着を失った右胸の涼しさを知った。

「い、つっ」

 羞恥に悲鳴を上げかけるものの、その前に右胸を覆った手が鋭い爪を立てて皮膚を薄く裂いた。

 左胸にも手が這えば、反応を示す間もなく残りの下着も引き千切られる。

 相手の思うがまま形を変えていく胸におぞましさと痛みを感じ身をくねらせたなら、両手首が解放。

 これを降ろす間も与えられず、残っていたスカートの生地までもが剥ぎ取られてしまう。

「やっ止めて!」

 胸を蹂躙する手を払い除け、白い肌についた赤い手跡と傷を隠すように腕を回したミリア。けれどすぐさま足を払われては転び、ストッキングに入り込んだ指がこれを引き裂いていく。

 防ぐものを失う音に更なる恐怖を喚起され、這いつくばったまま逃れようとすれば、もう一方の足からも剥がされていく薄い守り。

 これによりバランスを崩して再度倒れたなら。

「はい、最後の一枚」

 左右に走る冷たい感触。

 ずるり、滑る布が肌を粟立たせ、乗じて浮いた尻が外気に晒される。

 誰か、女の声が言った。

「まあ綺麗なお口。まだなぁんにも咥えた事がないみたい」

「!!」

 何を示しての言葉か理解出来た訳ではない。

 けれども混じる嘲笑と同意は、暴かれた裸身を抱えるミリアから叫ぶ声を失わせた。

「……ぁ……………で…………な…………ら……」

「ああ? 何だって?」

 ガチガチに鳴る歯の隙間、小さく呟けば、近づいてきた男が足下で蹲る彼女へ向け、大袈裟に身体を傾がせ耳に手を当ててみせる。

 視線を俯かせたままのミリアは男を見る事なく、それでも先程よりは聞き取りやすい声を発した。

「いや……来ないで……見ない、で……触ら、ないで…………お願い――」

 助けて、誰か――

 タナム……!

 最後は言葉にならず、目を閉じて願う。

 だが、ミリアの腕を掴んだ男は、願いの相手と同じ種でも全くの別人。

「痛っ」

 乱暴に引き倒された腕は背中を地へ打ち、同じく倒れた頭上で手首が固定される。

 横になった足は左右の膝を別々の手に立たされ、ミリアの意思とは関係なく開かれていく。

「ひ、あっ」

 眼前、足の間に獣面の男が見えたなら、己の格好と注がれる視線に引き攣った喉が意味を持たない声で鳴いた。

 経験はなくとも行われる事に察しがついているミリアはしかし、自由にならぬ四肢を暴れさせる気力さえ持てず。

「安心しろぉ、お嬢ちゃん? これからお前さんは長ぁく俺らで使い込んでやるからよ。ヤバい薬も使いやしないさ。だから安心して――潰れちまえ」

 舌なめずりをする男が好き勝手な事を伸べていく。

 遅れてミリアの足が逃げるよう動いても、足裏についた地は押し付けられたまま離れず。

「往生際が悪いぜ、名前のいらないお人形さん?」

「!」

 言われなくとも知れていた、彼らの中の自分の役割。

 数多のせせら笑う顔の下、伸ばされる男の腕を知っても、嗚咽すら凍りついたまま。

 逸らす事も出来ないミリアの瞳からは涙が静かに流れ落ち――

 

 


2010/6/29 かなぶん

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