夏本番、真っ盛りの太陽を迎え、最近瑪瑙が口にする言葉といえば、
「暑い」
 そして、
「なんか冷たい物食べたい」
 だった。
 対し、彼女の夫を自称する孔雀は、理の人という種族の特性を生かして、「お部屋、涼しくしようか?」と尋ねるのだが、どんなに暑くなっても鬱陶しい黒髪を結いも切りもしない瑪瑙は、「季節感は大事にするもんよ」とにべもない。
 仕方がないので、ない頭を一生懸命、捻りに捻って捻りまくった孔雀は、華やかな美貌をより一層輝かせて手を打つと、「良い事思いついた!」と宣言する。

 そうして孔雀が何かに意気込み、意気揚々と家を出た――後。

『そーいえば』
 食卓の上で皿に乗った野菜をつついていた家主のカァ子は、共に食事をする瑪瑙を見上げてきた。
 カラス姿であっても、列記とした人間であるカァ子の、齢300にして乙女という野太い声を受けた瑪瑙は、箸を止めて「んー?」とやる気のない返事をする。
『今更だけどさ、孔雀って何なのかね?』
「え? 頭にボウフラ湧いてる天然、みたいな方向で?」
『アンタね……食わせて貰っといてソレは酷くないかい?』
 現在、カァ子宅の食事含む家事全般を担っている孔雀。
 利という種族柄、長いこといがみ合っている理の人を歓迎できないカァ子だが、孔雀個人に対しては、庇うくらいの情は芽生えているらしい。
 ストレートな愛情表現を煩いぐらい受けている瑪瑙にしてみても、カァ子以上の情を孔雀には感じているものの、ソレとコレとは話が別。
 カァ子の言い草に少しばかり口を尖らせては、鼻で笑うが如く反論した。
「それじゃあまるで、私が何にもしていないみたいじゃない。こちとら、このクソ暑い中でも、せっせと薬を作って売って、頑張って稼いでいるのよ? 大体ねぇ、それで孔雀が何もしないなら、カァ子さんの方がキレんじゃない?」
『……そりゃまあ、一理あるが』
「でしょ?」
 羽先でポリポリ頭を掻いたカァ子は、そら見たことかと言わんばかりの瑪瑙に同意すると、はっとした素振りで首を振った。
『いやいや、そういう評価の話じゃなくてね』
「稼ぐと言えばあの二人、上手くやってるみたいよ、カァ子さん」
『は? あの二人?』
 これから本題に入りそうな雰囲気を知りながら、ふと浮かんだ脈絡のない情報を告げれば、カァ子の頭が僅かに傾ぐ。
 当たり前のこの動作に頷いた瑪瑙は、止めていた箸を動かすと、惣菜を一つ抓んで口に放り込んだ。
「ほら、あの極の二人」
『ああ』
 先の一件でカァ子が拾ってきた、曰くある氏族の姉弟。
 あの件に関わる全ては、すでに孔雀のコトワリの力により清算されているため、彼らを引き取る必要はなかったはずなのだが、カァ子はこれを良しとしなかった。
 瑪瑙はこの判断を、てっきり何か考えあってのことと思っていたのだが、直接カァ子に聞いてみれば、年端も行かない子どもたちを供物に差し出すようなところへ戻したくない、という人情味溢れる話に尽きた。
 まあカァ子さんらしい話よね、とは彼女の面倒見の良さをあてに、今現在も居候している瑪瑙の率直な感想だ。
 極の二人は今、カァ子の紹介で薬種店を営む黄晶の下、居候兼従業員を務めている。
 カァ子の拾い子・黄晶も育ての親に似たのか、厳つい見た目に反して面倒見は良い方だ。
 このため何の心配はない――と言いたいところだが、カァ子の性格上、気にならないはずがない。
 しかし、カァ子は未だ自由な翼を失っており、二人の様子を自力で見ることができないでいた。
 それでも時々気にしては、黄晶の常連である瑪瑙に二人の様子を聞いてくるのだが、用がなければ引き篭もる瑪瑙は、家主にせっつかれても重い腰を上げることはなかった。
 けれどもまあ、忘れていたわけではない。
 材料が枯渇すれば補充すべく、ようやく昨日、黄晶の店へめでたく赴き、二人の近況をだらだら語るに至る。
「姉の方は店番とか、黄晶の手伝いとかしていたわ。若くて女で、でも目つき悪いから、たちの悪いのに絡まれることもあるみたいだけど、そこは悪名高き極だし? 殺さない程度にいなしてるって」
『悪名の高さじゃ、その極さえ震え上がらせるアンタが言う台詞かい?』
「うっさい」
 ケケケと笑い含みに言うカァ子へ、瑪瑙は箸を突きつける。
 が、効果なしとみるや早々に引っ込め、別の惣菜を取ってはもぐもぐ咀嚼。
「んで、弟の方はさすがにあの齢だし、表に出す訳にはいかない。だから、出来る範囲内で荷物整理とかさせているみたい。黄晶はやらせたくないみたいだけど、当の本人が翡翠がやるなら俺もやるってさ」
『なるほどねぇ。業種はあまり感心せんが、元気なら何よりだよ』
「そーよねー。で?」
『うん?』
「話は戻るけど、今更孔雀がどうしたの?」
『……ああ、そうだったね』
 ボッキリ折られた話が舞い戻ってきたことに、カァ子が若干の疲労を見せた。
 指し示すところが何なのか、薄ぼんやりと理解している瑪瑙は、自分の不利益を避けるようにして沈黙を保つと、カァ子の続く言葉を待つ。
『ほら、アンタも知っての通り、利にしても、理の者にしても、稀人と違って姿形は一定していないだろ?』
「うん。それで?」
『けど、何の法則性もなく、姿形が全員バラバラってわけでもない』
「ああ。鴉の一族って全員カァ子さんと同じでカラス姿だもんね」
『そう。一族の括りで姿形が変わる。それは利も理の者も同じだ。一族って括りは稀人のいう氏族に近いもんがあるからね。おいそれと他の一族の姿になれるもんでもない』
「稀人の姿には結構なっている気もするけど」
『まあね。稀人との交流にゃ、そっちの方がスムーズに事が運ぶからね。アンタらは視覚にこだわり過ぎるから仕方がないが』
「稀人はコトワリの力が使えないからね。自分たちと同じ姿形じゃなきゃ、人間って納得出来ない。だから利と理の人の違いも分からない。――っと、ご馳走様でした」
 むしゃむしゃもぐもぐ。
 話の合間を挟んでいた食事を終え、両手を合わせて軽く頭を下げる瑪瑙。
 食器はそのままに、「食べた食べた」と椅子にもたれた瑪瑙は、本題を再度問う。
「で? それと孔雀がどう関係するのかしら?」
『つまりは、さ。孔雀の本来の姿は何なのかって話だよ。もちろん、変化せずとも稀人と同じ姿の一族もいる。だが、ソイツらははっきり言ってコトワリの力が強くない。アタシにすら及ばないんじゃ、孔雀なんてもっとない話さ』
「ということは、孔雀の姿はアレじゃないってことね。うん、それは知ってる」
『へ?』
 何でもないことのように言ってやれば、丁度口に咥えた惣菜をぽろっと落とすカァ子。
 瑪瑙は「行儀悪いなー」と笑いつつ、以前、己が孔雀から聞いたことを話す。
「前に孔雀の身体を見た時にね、左半身を覆う黒い刺青があったんだよね。しかも何て表したらいいか、凄く、その……異様なもので」
 話していく内に鮮明に描かれる、孔雀の身体に刻まれた模様。
 文字のようにも見える図柄は、コトワリの力によって描かれているのだろうが、力を持たない稀人の瑪瑙の目にも分かるほど、異質で不気味なものだった。
 正しく表す言葉があるとするならば、拘束具。
 本来ある形を無理やり捻じ曲げる、歪な檻。
 孔雀自身はけろりとしているため、実際には瑪瑙が感じるほどの苦痛はないのかもしれない。
 だが、それでも感じたものは確かにあり、瑪瑙の顔が意図せず険しくなる。
「それで、それは何って孔雀に聞いたらさ……ああそうだ。あの時丁度、カァ子さん、人型になっていたんだよね。確か、金細工の装飾品を腕にしてて。ほら、黒い石が吊り下がった――」
『ああ、あん時かい』
「あ」
 言ってから(しまった)と思った瑪瑙。
 芋づる式に思い出した記憶によれば、あれは確か典の氏族の厄介事から帰って来た時のことであり、その時カァ子は玄関先で苦手な人型のまま突っ伏していたのだ。
 これを見て何かあったと察した瑪瑙は、理由を言いたくなさそうなカァ子を気遣い、興味津々の孔雀を無理やり自室へ引きずっていった。
 だというのに、今になって蒸し返すようなことを言ってしまったと、恐る恐るカァ子の顔色を窺う。
 けれども当の本人には瑪瑙が警戒するような不機嫌さは見受けられず、最後の米粒を数粒茶碗から抓んで食すと、『ご馳走さん』と野太い声で小さく言ってから、ため息をついた。
『過ぎたことだし今更言っても、だけどね。あん時は、封(ほう)のバカ息子にカラス姿を見つけられちまってさ。逃げの一手としてあの姿になって、ようやく撒けた――と思っていたんだがねえ』
「そう。そうだったんだ」
 大方、カァ子のことだから、瑪瑙に余計な心配をかけたくない、などという考えで黙っていたのだろう。
 ――あるいは、瑪瑙の薬の犠牲者を無駄に増やしたくなかったか。
 どちらにせよ、あの時の人型の理由を知った瑪瑙は、カァ子自身の言う通りに過ぎたことと片付けると、話を戻して言う。
「まあ、とにかく、よ。孔雀の刺青は、カァ子さんの装飾品みたいなものだって言われたの。それがないと今の姿が維持できないってさ。それってつまり、別に本来の姿があるってことでしょ?」
『……なるほどねえ』
 ふむと頷いたカァ子だが、その姿はどこか思案げだ。
 瑪瑙が何かおかしいことを言っただろうかと首を傾げれば、これに気付いた彼女は羽先で顎を摩るように、くちばしの下をさやさや摩った。
『いや、孔雀の姿がアレじゃないってのは分かったんだがね。刺青ってのが、ちょいと引っかかる』
「そうなの?」
『ああ。そもそも、アタシが変化を苦手とするのは、変えた形にコトワリの力を上手く配分出来ないからだ。装飾品はその補助に過ぎない。だが刺青ということは、孔雀自身の身体に直接コトワリの力が作用しているということ。つまり、変化の主体は刺青にこそあるということになる』
「えーっと……ご免。ちょっと分かんない」
『簡単に言えば、アタシの変化はアタシの身体をそのまま変化させているってことさ。この羽、この足、この嘴を、それぞれ人型の形にね。けど、孔雀は刺青のお陰で今の姿を保っていることになる。つまり……その、物凄く言いにくいことなんだが』
 ここで一端言葉を切ったカァ子は、黒い身体の中でそこだけ唯一白い眼を、言葉通り宙に彷徨わせると、瑪瑙を真っすぐに見てから告げた。
『孔雀の本当の姿には、身体と呼べるものがないんじゃないかと』
「え、不定形体ってこと? ヘドロとかアメーバみたいな」
『……アンタね。仮にもアンタを好いている奴だってのに、何だってその二択なんだい』
「例えばの話よ! 例えばの!」
 じろりとカァ子に睨まれ、慌てて否定を入れる瑪瑙。
 しかし、ちらっと(だから単細胞なのか)と納得しかけたのは内緒だ。
「そ、それじゃあ……空気とか?」
 苦し紛れにその辺を漂う気体を上げ、示せない指を立てる。
 これへ更に半眼になったカァ子は、ため息交じりに言った。
『止めとくれ。うっかり想像しちまったが、それじゃあ奴がいない時に迂闊に息が吸えなくなりそうだ。気色悪い』
「わ、悪かったわね」
 言いつつ、それもそうだと今現在、姿の見えない孔雀を思う。
 そしてついうっかり、ただそこにあるだけの空気を彼自身と想像してしまったなら、途端に「瑪瑙ぉー」と絡みつく姿なき感触にぞわっと鳥肌が立った。
(わ、我ながら、気味の悪い想像しちゃったわ)
 慌てて首を振り、重苦しい空気の想像を払う。
 次いで辺りをキョロキョロ見渡した瑪瑙は、眉根を寄せて言った。
「それはそうと、孔雀、遅くない? というか、何しに出て行ったの、あの人?」
『あたしが知る訳ないだろ? 奴のやることは、いつだって想像の範囲外なんだから。……いや、アンタらのって言うべきかね』
 呆れた物言いから一変、カァ子の白い目がニヤリと意味深に笑った。
 いきなりの変容にビクッと震えた瑪瑙が「な、何が?」と尋ねたなら、更に白い眼を細めたカァ子は、声音に笑みを含ませた。
『いや、なに。いつの間に刺青なんて見るような仲にまで進展してたんだと思ってさ』
「なっ!?」
『しかも聞くに、あたしが家にいる時だってぇじゃないか。いやはや、万年春爛漫な孔雀はともかく、アンタまで見境がなくなっちまうなんて、嬉しいやら悲しいやら』
 羽を扇代わりに、その陰で笑うような泣くような恰好を取るカァ子。
「ちょ、ちょっと!? 変な想像しないでよ!? アレは別に、そんなんじゃっ!」
 否定の難しい話ではあるが真実は違うのだと、顔を真っ赤にした瑪瑙は食卓に両手を叩きつけ、椅子をけたたましく倒して立つ。
 打って変わり、完全に見下ろされるようになったカァ子は、それでも羞恥と憤りに駆られた瑪瑙を面白そうに眺めたまま尋ねた。
『ほほう? どう違うのやら。左半身を覆う刺青なんて、ねえ? どういう状況になったら、そんな広範囲まで指定して見られるって言うんだい?』
「――――っ!!」
 完全にからかう姿勢。
 明らかに邪推されそうなことを、何の気兼ねもなく言ってしまった、過去の自分をぶん殴りたい。
 そんな出来もしない衝動を持て余し、顔の赤みを重ねに重ねた瑪瑙は、何事かをカァ子に言いかけ――
「わっ!?」
『な、何だい!? 』
 突如、室内が暗くなった。
 と同時に、ひんやりとした空気が夏特有の湿気を含んで肌に纏わりつく。
 一瞬だけ、(まさか孔雀、本当に!?)と瑪瑙が思ったなら、暗闇の中で野太い声が言葉を発した。
『「チャデ」!』
 これを合図に昼間は消されている照明が点けば、先程と同じ居間がそこにある。
「一体何が……」
 辺りをぐるりと見渡し、やはり何の変化もないと眉を顰める瑪瑙。
『ちょいと瑪瑙、窓だよ、窓』
 カァ子の指摘を受けて、風通しのために開けていた窓へ目を向けた瑪瑙は、その外側に見慣れない白い壁があることに気付いた。
 飛べないカァ子の代わりにそちらへ近づいては、そっと白い壁を指でつつく。
 急にひんやりした空気の源を示すように、冷たい感触が指から伝わってきた。
「これは……雪?」
『雪? この真夏に?……ってぇことは』
 ここまで来れば、二人に「何故雪が?」などという疑問は湧いてこなかった。
 こんなことをする奴は十中八九、いや、十割方決まっている。
「『ちょっ(い)と、孔雀!?』」
「はいはーい! 呼ばれて飛び出て孔雀君、参上!」
 瑪瑙とカァ子が叫べば、間を置かずに居間の中央、珍妙なポーズを決めて現れる孔雀。
「あ、でもでもぉ、今のは瑪瑙に呼ばれたからだからねっ! カァ子さんに呼ばれたから出てきたわけじ――」
『誰も聞いてないよ、んなことは!!』
「ゃはっ!?」
 身体をくねくねさせ、しなを作りながら訂正を加える腹へ、カァ子が鋭い蹴りを見舞った。
 当たった瞬間、体重以上の鈍い音を響かせるソレに、孔雀は腹を抱えて床に突っ伏す。
 このやり取りに瑪瑙はため息をつくと、苦悶する孔雀の前で片膝をつき、項垂れる金色の髪を無造作にわし掴んで上げさせた。
「ううぅ……め、瑪瑙、介抱なら、もっと優しく」
「煩い。それよりコレは何? 一体全体、どうなってんのよ?」
 ひんやりした空気=孔雀説は彼の登場により否定されたものの、直前までのカァ子とのやり取りも手伝って、いつも以上に青筋を立てた瑪瑙が問う。
 さすがの孔雀も瑪瑙のこの雰囲気に、何か察するものがあったのだろう。
 ヘタに逆らっては後が怖いとでも思ったのか、愛想笑いを浮かべた孔雀は、男女問わず魅了する美貌で上目遣いに答えた。
「えっとね、かき氷をね、作ろうと思ったの。それか、麺を冷やすのにもいいかなって。でもね、氷ってほら、溶けるでしょ? だから、たくさんあれば良いかなーって思って」
「……つまり、私が冷たい物食べたいって言ったから」
「えへへ」
 現状はともかく、自分の願いを叶えるためと聞いて、少しだけ毒気の抜かれた瑪瑙は孔雀の髪を離した。
 これを直す傍ら照れくさそうに笑う孔雀だが、話はまだ終わっていない。
『で? それがどうして家中暗くなるって話になるんだい?』
「いたっ。か、カァ子さん、足をつつかないでよ、もうっ!」
 腹を襲撃したカァ子が、床に降りたおまけとばかりに足をつつけば、踊るようにこれを避ける孔雀がふくれっ面を見せる。
 けれども、カァ子と同じ気持ちの瑪瑙がじーっと見ていることに気付いたなら、ほんのり照れくさそうに頬を染め、花も恥じらう乙女も裸足で逃げていくような綺麗な笑顔で言った。
「うんと、本当に、たっくさん、持って来たんだ。かき氷作っても有り余るくらい。けど……持って来すぎちゃったからさ。これを雪のようにして降らせたら、瑪瑙も涼しくなるんじゃないかと思って……」
 そこで孔雀の目が気まずそうに下へ向けられた。
 継ぐように、呆れた顔のカァ子が、嘴と足を用いて器用に食卓へ戻りながら言う。
『で、実際降らせようと削ってみたら、思った以上の量になってこのあり様かい? しかも一瞬でコレってことは、大方、何も考えずに上空で一気にコトワリの力を使って削っちまったわけだ』
「あう。で、でもでもっ! ほ、ほら、涼しくない? ちょっと思ってたのと違うけど、これはこれでいいんじゃないかって――」
「……孔雀」
「はいぃっっ!」
 瑪瑙の低い呼び声に、直立不動で敬礼なんかも付け加えた孔雀が、ぎゅっと両目を瞑って次の言葉を待つ。
 明らかに怒られることを分かっている様子に、内心で盛大にため息をつきつつも、瑪瑙は口元に笑みを浮かべると、そっと孔雀の身体へ両腕を回した。
「め、瑪瑙?」
 思ってもみないだろうソレに、常であれば喜ぶところを困惑した声を出す孔雀へ、瑪瑙は素直な思いを口にした。
「孔雀、ありがとう。私のちっぽけな願いを聞いてくれて」
「瑪瑙……そんな、俺にとって君の願いは大切な――」
「でも、季節感は大事にしたいって願いは、どこで抜け落ちちゃったのかしらねえ?」
「うっ!」
 にっこり笑いながら見上げれば、痛いところを衝かれたような青褪めた肌に遭う。
「……この状態で誰か来た日には、真夏に雪の怪!? なんて良からぬ噂が立つわよね? そうしたら見物客が来るでしょう? この閑静な場所に、大勢の人が……」
 孔雀の胸に顔を伏せては、自然と低くなる声。
 想像だけでも厄介な野次馬に、早い対処を望んで再び顔を上げれば、眦に涙を浮かべた孔雀の顔とかち合った。
 さしもの孔雀も、瑪瑙の様子からその心は十分察せてしまったようで、「今すぐ溶かしてきますぅ」と宣言するなり、彼は瑪瑙の腕から移動の言葉を残して脱してしまった。
「あっ、ちょっと孔雀!――って、ああ……」
 思いのほか素早い行動に、慌てて声をかけた瑪瑙だが、時すでに遅く、白い壁が消え去ったと思えば、束の間忘れていた夏の光と風が窓から入り込む。
 これを何ともなし見つめた瑪瑙は、ため息交じりに言った。
「……とりあえずさあ、カァ子さん」
『……何だい?』
「孔雀の正体が何にせよ、あの人が――」
 言いかけた言葉は。
『げげっ、大降り!? ちょいと瑪瑙、悪いが閉めとくれよ!』
 突然の豪雨と、入り込む雨に慌てて窓を閉めるよう指示を飛ばすカァ子により、遮られてしまう。
「はいはい」
 この状況に再びため息をついた瑪瑙は、羽が使えないばかりに食卓でオロオロするしかないカァ子を横に、開いている窓を閉めにいく。
 去り際、「溶かしてきます」という言葉から察しのついた、局地的であろうこの豪雨。
 いや、ここまで察するに至らずとも、その手前、彼が勝手をしないように抱きついた時にはすでに、碌でもないことになると予想はついていた。
 だからこその珍しい瑪瑙からの抱きつきであり、それなのにあっさり自分の腕の中から消えた孔雀は予想外だったわけだが。
 慣れない小細工を仕掛けた甲斐なく降り注ぎ、晴れた後はこれまで以上の湿気となるであろう豪雨の未来に辟易しながら、瑪瑙は言いかけたことをぽつりと口にした。
「あの人が、理の人の中でも特別突拍子もないことするってことの方が、物凄い問題だと思うのって、私だけ?」

 

 


UP 2018/4/21 かなぶん

修正 2019/06/11

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